花見の話題

2018年の桜は、早かった。
例年の花見の時期は、その直後、究極に忙しくなるので準備日として費やす関係で、花見どころではない。なので、早まったことがぼくにはウレシイのである。

総勢14名ぐらい、ここまで異業種な面々が集う花見もないだろうというぐらいの愉快なメンバーで、友人の会社が持っている施設での宴会。

クリニックを開業している友人がお嬢さんと奥様と三人で参加の予定が、奥様のお母さんが足の骨を折ったとかで帰郷。ぼくも同じ経験を何度もしたので(笑、大変さもよく分かる。お嬢さんは19歳で美大生。親元を離れて寮生活。パパと2人で参加だが、若々しいパパなせいか、世間一般の年ごろ娘と父に比して仲もよさげ。

となると、参加のおっちゃんおばちゃんたちは、そのお嬢ちゃんに興味津々で、いきなり注目の的。一瞬にして人気者となった。何せ、裕木奈江のデビュー当時を思わせる可憐な美少女なから、年増を相手に、はっきりと、時にはヅケヅケとモノを言う。頭の回転が速く聡明さも魅力。

もちろん寮の部屋にテレビはない。もとよりドラマとか昨今のテレビ番組には興味がない。寮生活だが、ぼくたちが想像するような寮母さんがいる施設ではなく、食事は自炊。ゆえ、各部屋ごとにある冷蔵庫の中身が自己主張の場、だそうで。

女子美大ということで、ぼくたち世代が最初にピンと来るのが、それはそれは松任谷由実、ユーミン様である。
(イルカも確かそうだったような・・・)
さっそく誰かが、そうなの、じゃ、ユーミンの後輩だね。というと、ユーミンってどなたですか。知らないですけど。
ときた。

一同絶句。誰かがおちゃらけて、え、お母さんが、♪ひこうき雲~とかって、歌ってなかった?というも、さらに場は引き撃沈した。


弁当の思い出

昨日、小学生時代のちょっとした思い出がふとよみがえった。

待ちに待った遠足のこと、である。
その日の朝は薄曇りで今にも雨が降りそうだったが、母は「お天気よ」と優しく言って、
その声も聞こえた気がした。

母は元々料理が好きな人であり(だからこんな息子になったわけで)、
普段は給食なので昼食を作ることはないが、遠足というイベントで、
おかずとゴハンが二段になってる、(もう中身は忘れてしまったが)大変立派なおべんとうを作って
持たせてくれた。

一番待ち遠しいランチタイムとなり、意気揚々と弁当箱を開いて食べ始めようとしたら、
回りは、バナナだけとかオニギリとか菓子パンとか、「弁当」の形を成すものを持参していない。

え、いったいこれはどういうことだ。
かすかな記憶ではあるけど、子供ながらに周りの友達の不幸(笑)を嘆き、
自分が持ってきたおかずをみんなでつまんで食べた、と思う。

帰宅し、母にお弁当おいしかったよとお礼をいいつつ、そのときの話をしたら、
ふと不安に思った母が、遠足の案内や注意事項が書かれたプリントをみて、
「あら」と言った。

そこには、小さな字で「おかずはよいです」と書いてあった。

子供ながらに爆笑。母も照れながらも大笑い。
その後わが家では、母がご飯の支度で小さな手抜きをするたび、
今日は「おかずはよいです」や、と言い訳し、
しばらくの間、拙宅の流行語となった。

笑いの芸を採点するということ

ぼくは、「魚沼さんこしひかり」のころから松本人志のウオッチャーである(って、ちょっとマニアックだけど 笑)。
そんなぼくが感じる最近のまっちゃんは、頻繁に面白い、面白くないという言葉を口にする。

これは面白い。おまえ全然おもんないやんけ等、すべての判断基準を、きちんと松本の目線での面白いか面白くないかを、きっぱりとキッチリと即断し、それを口にする。先日も「一本グランプリ」を観ていたら、ミキの昴生に対し、面白くない面白くないと何度も言って、それがまた、大舞台にのまれた昴生への救いと愛情を感じさせた。

松本人志は、あえてお笑いの芸を審査員として採点することに踏み込んだ人である。M1グランプリをはじめ、キングオブコントは元々MCだったのに審査の側に移った。前述の一本グランプリでもチェアマンを務める。
たけしやさんまにも、おそらく頻繁にお笑いクランプりの審査員へのオファーはあったと聞くが、彼らは芸に優劣をつけることはできないとして引き受けなかったと聞いた。

松本人志が、最近特に面白い面白くないを言うのは、加えて、面白いか面白くないかをトークの遡上に上げるのは、何が面白のかが分りにくくなっているからではないかなと感じる。最近のテレビでは、本物かニセモノか、必ず笑い声が入るし、客を集めての収録でも、何が面白いのか分からないまま、つられて笑っているような場面も多い(というかそんな場面ばかり)気がする。

面白さの本質とは何か、みんな笑っているけど、本当に面白いのか。松本人志は、それをクリアにし際立たせたいがために、面白い面白くないと言い続け、芸人の最高舞台であるグランプリの審査に取り組んで、彼自身が考える「面白い」に採点という形で視聴者に分らせようとしているのではないだろうか。

それを自分に当てはめると、美味しいかおいしくないか、である。それは笑い以上に千差万別で個人差も大きく、さらに定義するのが難しい。ただ、それを誰かが改めてきっちり手掛けていかないと、ますますおいしさの本質がプレて、せっかくの食材そのものの味や卓越した料理人の技術が、どんどん埋もれてしまう。いや、それを分かる人がいないと、作る側のモチベーションも下がるばかりである。

たけしやさんまとは全く比較するに至らないけど、ぼく個人も料理店に対する採点を控えてきた。
採点を主眼とした仕事のオファーも、僭越ながらお断りをしている。
ただ、松本人志の真摯な動きを見ていると、自分も「おいしさの採点」に踏み込むべきなのかなあと、ふと思うようになった。

メールを英語でいうと

日常的に、ぼくたち日本人は、電子メールのことをメールといい、何の違和感もなく使っている。
ご承知のように、英語でメールとは手紙の意味。英語でメールを送りますというと、相手は手紙が来ると勘違いする。つまり、「メール」とはすでに日本語なのである。

みたいな話を、日本で暮らして10年以上になるバイリンガルのカナダ人としていた。

じゃ、英語で何ていうのか、って簡単な話で、eメールである。
日本人もメールが普及しだした当初は、eメールもしくは電子メールと言っていた。
だけど、もっと自然な形、携帯電話やスマホなどを使って送る短いメールのことを、英語では、textというようだ。
つまり、ぼくたちが日常のコミュニケーションに使うメールは、英語ではテキストと呼ぶ、とすれは理解しやすい。

さて、つい先日、イチローのシアトル復帰が発表され、マリナーズ球団がくだした英断とともに、日米双方で話題沸騰だ。
たまたま見ていたイチローの会見で、記者からの質問に答えているとき、
しょうへい (大谷翔平)から、お祝いのテキストが来た、と言ったのを聞き逃さなかった。

イチローって、日本人のマスコミに対して会見をするとき、一切英語を使わない。
まーくんのように、現地でも常に通訳を従えて日本語で通すプレイヤーもいるし、すっかり英語に慣れて、日本のマスコミに英語を披露する選手もいた。

イチローって、どうなんだろう。でもここまで長くアメリカに暮らし、アメリカで仕事をしてきたのだから、実は相当使えるのではないか、みたいな憶測が、メールではなくテキストと表現した一言で、判明したような気がする。

バイリンガルのカナダ人が、日本の習慣が長いと英語でもメールと言ってしまう、とぼやいていたシチュエーションと、まさに同じといえよう。

パリでのこと

フランスとスペインの国境辺り、バスク地方を旅したときのこと。
ビルバオやサンセバスチャンといったスペイン美食の町を歴訪した後フランス側に抜けて、バイヨンヌの空港からパリへと戻ることにしていた。飛び立った小さな飛行機は、パリのオルリー空港へ到着。機内の狭い通路に乗客が立ち、それぞれの荷物を上の棚から降ろす、いつもながらの風景。こうなると急ごうにも前がつかえて、確実に前から順にしか降りることはできない。

ぼくのすぐ後ろに、一刻も早く降りたいとムズムズしているおばあさんがいた。真っ赤なコートを着て姿勢もよく、いかにもフランス女性といったカッコよさ。お顔は相当しわしわだが60歳半ばぐらいだろうか。
「ムゥー」と、西洋人特有の言葉を発し、いら立ちを隠せない。

赤いコートのおばあさん、トイレでも行きたいのか、電車の時間があるのか。あまり急ぐ理由が思いつかなかったのだが、早足で歩くぼくの横をすり抜け、ひたすら出口を目指し、そのままゲートをくぐる。出迎えやガイドなど、たくさんの人が待っている中に黄色いコートを着たおじいさんがいて、そのおじいさんの胸に、一目散に飛び込んだ。まさに「抱擁」という言葉がふさわしい、硬く熱いハグ。

うわっ、そーだったんだ・・・。
ぼくは小さく感動しながらも、生理現象には勝てずにトイレへと入る。

すっきりした後、同じ方向にとって返したら、出てきたときと寸分変わらない状態で、
二人は抱き合って微動だにせず・・・。赤と黄色のコントラストがぼくの目に激しく焼き付いた。

パリ、だよなあ。