ラジオに出演しました。

テレビのロケを一年間やって身に着いた、というか必然的にそうせざるを得なかった結果の特技、というほどでもないけど、テクニックが、ぼくに加わった。
収録中にいろいろと今の話をしながら、頭の中では次に何を話すか考える、という技だ。

閑話休題、あるドラマーから聞いたネタ。
彼はずっと、ミュージックフェアーという土曜の夕方に塩野義が提供している長寿番組でドラムを担当していた。あの番組は30分だけど、収録は何本にもわたって行うそうで、その間出演するアーチストは、ロックもあればフォークも、そして演歌までと幅広い。
次々と曲調が変化する中で、一番大変なのはリズムをつかさどるドラムである。そんな要のドラムが、ついさっきまでドカドカとロックの音に合わせてたたいていて、次は演歌のスローなナンバーとなっても、どうしてもロックのときのリズムに引きずられタイミングが早くなってしまうというのだ。
そこで、その優秀なドラマーは、現在収録中の曲をたたきながら、ヘッドホンではずっと次に演奏する曲を聞く、という荒業で、リズムやテンポが前の曲につられることをしのいできた、というのである。
本当に、スゴイプロフェッショナルな話だなあと感動した。
そして、なるほど、とも思った。

そこで冒頭のテーマに戻るわけだが、そのドラマーの仕事ぶりを参考にし自分も、テレビの収録中には、リアルタイムにいろいろと話している最中に、次に何を話すのか頭の中で考えるという技を体得した。
普段そんな習慣がないので気づかないけど、やってみると意外とできるもの。
具体的に言えば、今、かつ丼の歴史について話している、その話をしながら、次にかつ丼の味についてあれこれこういう風に話そうと頭の中では考える、という感じ。

ところで先日、コミュニティFM局のラジオ番組に呼んでいただき収録をした。全部で三本録ったのだけど、そのうち二本は日本語、そしてもう一本は全編英語のみの放送だ。相手は同じでバイリンガルのDJ。彼が持っている日本語の番組と英語の番組にゲストで呼ばれた体である。

日本語の収録は、前に説明したように、今しゃべりながら次に何をしゃべるか考える手法で、かなりスムーズにこなすことができた。ところが問題なのは英語。今しゃべりながら次に何を話すか考えるのは同じ。
でもね。それを自分の貧困な英語力できちんと説明できるかまで見極めなければならない。
大変だ、時間が足りない。

食の話とか一通りして、音楽も好き、みたいな展開になって、好きなジャズミュージシャンは誰ですか、との質問が突然来た。なんでジャズ限定なんだ、そして次はおそらく、そのアーチストのどこがファンなの、と来るに違いないと予想。とすれば、単純に名前だけではなくそのアーチストの魅力も英語で伝えなければならない。

個人的にはジョン・コルトレーンが好きなのだけと、安易に答えて魅力も英語で語れるのか。あ、コルトレーンって、英語ではコールトレンと発音するんだったかな、うしゃー、こりゃだめだ。で、次に、あまり考えず、口からついて出たのがビル・エヴァンス。案の定、魅力はと聞かれ、白人らしい厳格さ、正確さみたいなことを言ったか。
およそジャズミュージシャンら対する賛辞ではないよなあ・・・。
うー、後悔しきり。

東京の地下鉄

東京で暮らして30年を迎えようとしているが、未だに東京の地下鉄(今はメトロというらしい)は、ややこしい。
というか、ぼくが東京に引っ越したころからの思い出話も少し書いておこう。ドア地蔵に続く鉄道ネタである。

平成とともに東京に来たぼくが、もっとも驚いた三点は、
未だまったく自動改札ではない
東京メトロ、当時の営団地下鉄車両に冷房が利いていない
(当時、高円寺に住んでいた友人は、冬は地下鉄、夏はJRで通ってたなあ)
車掌が「ドアを閉めます」とアナウンスすること、である。
あ、もう一つあった、というかこれは未だに西武線とかでは採用されているようだが、
こんど  つぎ  そのつぎ
これは不親切以上に、日本語としても変である。

東京が、そのころまったく自動改札化ができなかったのは、組合の力が強すぎたからだと誰かから聞いた記憶がある。
当時は分割民営化の直後で、ものすごい過渡期だった。
「渋谷に行けば、JRって外人の友達までいるんだぜ」というウッチャンナンチャンのネタも生まれた。
分割民営化に反対しつつもJRに残った人たちが、JRが運営する立ち食いソバ屋とかに異動になり、
国鉄ユニオンのバッチを付けて仕事をしていたことを覚えている。

さて、本題というか、東京の地下鉄について続けてみたい。
なによりネーミングが不適切だ。
銀座、丸の内、日比谷、千代田、有楽町。
これらって、すべて徒歩10分圏内。その違いも個性も見いだせない。
大阪から出張で来た友人が、有楽町から日比谷に行くのに地下鉄に乗ったという話を聞いたことがあるが、地下鉄の路線が違うとの認識で、そこそこ距離があると感じたのだろう。

世界的に見て、最近の地下鉄の路線名は、番号か始点・終点の名前になることが多いようだ。
例えば丸の内線なら、新宿・池袋線、銀座線なら渋谷・浅草線。でもこれでも、どこを通っているのかよく分からないよなあ。
その点、大阪は優れている。計画的というか、主軸交通網としての将来の発展を予想して考えられている。
多くは幹線道路の下を走っていて、幹線道路の名前が付いているのだ。御堂筋、堺筋、谷町筋、四ツ橋筋・・・。

その昔、御堂筋の延長線上、千里の地に大阪万博の会場を作り、御堂筋を延長して新御堂筋とした。
大阪では、千里の道も一歩から、ではなく、千里の道も新御堂から、という。

リーダーズ・グルメ

さて、もう一つ連載のご案内です(恐縮です)。

ある食事会で隣り合わせた男性が新進気鋭の会計士さんで、その方を中心としたグループにて、経営者向け情報に特化したウェブサイトを運営されてるのですね。
で、隣り同士自己紹介とかしながら、グルメのことを書いたりしてます等、そんなことを話していると、突然、うちのウェブサイトに連載をしていただけませんか、というご依頼。なんとも光栄なお話しで、お引き受けをすることになりました。

経営者の方に向けた情報サイトなので、お声をかけていただいた先生からは、そんな方々が参考になるようなお店がベターですね。というご希望でした。で、ここからは自分の企画なのですが、それなら、従来のようにお店や料理を紹介するだけではなく、そのお店の経営者からもお話を伺ってしまおう。つまり、レストランとして優れ、なおかつ経営的な観点からも興味を持っていただける、そんな二刀流のグルメ記事を目指そうと考えました。

まずは、株式会社ひらまつ。
東証一部上場の高級レストラングループ。そして一年前に、社長が平松シェフから、長らく各店で支配人を続けてこられた陣内さんに代わり、まさに第一回にふさわしい店を取り上げることができたかなと思っています。

リーダーズ・グルメ第一回
株式会社ひらまつ

※なお、このサイトは登録制ですが、メアドを登録するだけで閲覧できます。

ニッポン食堂遺産

こんな連載、始まりました。
ニッポン食堂遺産

昨年一年間やらせていただいたBSフジの「ニッポン百年食堂」、
そのスピンオフ企画みたいな感じです。
テレビで語れなかった、語ったけど編集時にカットされた(笑)未収録場面とか、
そればかりではなく、旅情感をたっぷり含みつつ、文章で百年食堂を伝えています。

写真は、実際に撮影された映像からキャプチャーしたもので、それはフジと扶桑社の関係で
うまくやっていただきました。
コンパクトにまとめたわりに、中身は濃い連載かなと思ってます。
よろしくお願いいたします。

なお、本家といいますか「ニッポン百年食堂」の再放送が、早くも始まりました。
そんな時間枠があるなら新作をロケさせてほしいなあと思うところですが(笑、
今度は土曜の昼12時~(もちろんBSフジです)。
今までと違って、料理人さんとかもご覧いただけているようで、
銀座の有名な焼鳥店店主からも、観たよーとお声をかけていただきました。
観忘れてた、もう一度観てやろうか、など、土曜の昼にお時間の許す方は、
チャンネルを合わせてみてください。

もし過去に戻れるとしたら

ときどき、もし人生に巻き戻しができたら、みたいなテレビの企画とかあるよね。
それをテーマにした映画も、何本も制作されている。
ぼくは、今までの人生にまったく不満や後悔はない。うまいもの食って、
それがきっかけで本も出せてテレビにも出て(笑、
この上なく楽しい。

でも、もし巻き戻せるとするなら、一時点だけ戻ってみたい瞬間がある。
それは高校一年の冬だ。
ぼくはそのとき、北海道旭川市の進学校に在籍していたが、父親の転勤で徳島に引っ越しすることが決まっていて、その年の四月、徳島の高校に転校した。高校二年から編入という形だ。
すごく荒れた高校で、卒業するまでの二年間、ずっとヤンキーから日々逃げまわってる悲惨な高校生活だった。
今でも、徳島の高校時代の人間とは一人も交流がない。
あの時。父の転勤がなく転校をしていなかったらどうなってたかなあと、それだけは時々考える。
実は、もし転校をしていなかったらミュージシャンを目指していたのではないかと思うからだ。

今、高校の芸術科目をどのように選択するのかよく知らないが、自分たちの時代は、美術や音楽等を
自分の意志で選択することができ、ぼくは音楽を選んでいた。
当時高校一年の音楽の先生は、秋田出身の色白の女性。黒髪のおかっぱ頭(今でいう、廣瀬すず風)で、
高校の先生というのにいつもタイトなミニスカート姿。セクシーというよりは、
ものすごいカッコいい先生で、毎回毎回音楽の授業が楽しみでしょうがなかった。
そして、その先生は、当時全国大会を狙えるレベルの吹奏楽部顧問をしていた。

授業も奇想天外だったが、テストも個性的。
「あなたの音楽表現、なんでもいいよ。みんなの前で発表して」というのだ。
ぼくは考えた挙句、アコギ一本を教室に持ち込み、
レッドツェッペリンの「天国への階段」を歌い演奏した。
AメロBメロは、十分アコースティックギターで対応できるんだけど、
サビに入るところからエレキギターのソロが来て、カッティングもエレキになる。
その辺は適当にアレンジして、最後までアコギ一本で演奏した。

つか、今から思えば、そんなことができたんだなあと感慨深い。

くだんのミニスカート先生、そしてクラスのみんなも、それなりに驚いた。
というか先生は相当驚いていた。
伊藤君って、なにか楽器を習ったり勉強してきたの、と聞く。

いや、幼稚園のころにヤマハの音楽教室に行ってたぐらいです(笑。

あなたには音楽の才能があるわ。
私が指導している吹奏楽部に入って、なにか弦楽器をやってくれない? 
エレキの弦楽器を吹奏楽に導入して、よりモダンでジャズっぽい演奏を作りたいのよ。

記憶はあやふやだが、確かミニスカ先生は、授業中にみんなの前で
それを言ったように覚えている。
ものすごく、ものすごくやりたかった。
特に自分たちで組んでいたバンドではベースを担当していたので、
吹奏楽でベースを弾いてみたかった。

でも、まじめな高校生時の自分は、
実は三月で旭川を去り、徳島に転校するんです。と、
即座に答えた。

そうなの、惜しいわねえ・・・。
徳島に行っても音楽を続けてね。

食べることと同じぐらい好きな音楽。それは今も変わらない。
食べることを介して、いろいろな方々と知り合い、世界中を旅して、
今までも、たぶんこれからも、こんなに楽しいことはない。

でも一瞬、もしあそこで転校せずに吹奏楽部でベースを弾いていたら、
きっとそのまま続けて、音楽の道に進んでいたかもなあと、夢想するのである。