散文の記事 (1/3)

ローラという存在

テレビの話ばかり書いてるような気がするが・・・。
ローラというタレントがテレビに登場した最初、衝撃的だったなあ。
自分のことを、ローラですとか、ローラと申します、ではなく、
ローラだよ、というのである。しかも大物と称されるMCに向かって。

当初はMCもひな壇に並ぶタレントや芸人も相当驚いたであろう。
(その辺が予定調和だったのかどうかは、視聴者には知るすべもないが)

社会に出ると、出会った人とタメ語で話すにはとても勇気がいる。
同い年やその周辺の世代とは、タメ語で話すほうがコミュニケーションは深まるとぼくは考えるし、
年下ならさらにそうだが、やはりそれなりのけじめが必要だ。
今日からタメ語で話そうよと、何人かの友人に宣言をしたり、
同い年の仲間でグループを作って、タメ語で話すことを唯一の参加資格として決めたこともある。

ただ、ローラのおかげで世間は『慣れた』。
当初の強烈な違和感も、結局は慣れるものなのだ。
つくづく慣れって怖いなあ、というか、慣れさせることの重要性を改めて認識した。
ローラ以前と以降では、話し言葉に対する様相がすっかり塗り替えられてしまったようだ。
タメ語が、個性から日常になった。
ローラ以降のタレントはホントウに楽だったと想像する。

こうして敬語のよさ、ひいては日本流の礼儀が失われていくことに危惧する層も多いが、ぼくは最近、特に英語で話す機会が多くなるにつれ、あまりそう感じなくなった。

当然だが、20代の若者にも英語では、Hi Akira!と言われるわけで、自分が何歳だからとか、そんな気負いや面倒くさいことを考える間もなく、すーっとフランクな人間関係に入れる。かといって、英語圏の若者に礼節がないわけではなく、きちんと敬うべき部分については態度で表明してくる。
日本特有の敬語は、もはや振る舞いではなく処世術として使う時代が来たのかもしれない。

そうそう、ローラは父親が詐欺まがいのことをやったにもかかわらず、まったくお咎めがなくテレビに出続けている。
例えば親が生活保護を受けていて干された、次長課長の河本とかと比べても、あまりある厚遇だ。

そう、すでにローラは、日本のテレビ業界に、不可欠の絶対的な存在なのだろう。

LとR

自分たちが日本人に生まれたことは抗いのようのない事実で、日本人である以上、日本人であることを強く主張し続けることが正しいと信じている。
なので、自分が英語を話す際、ネイティブっぼく話したいとはまったく思わない。
というより、ネイティブとは何なのか。単にアメリカ映画で使われている英語ということに尽きるだろう。
米語を話す人種とそれ以外とでは、世界的にみたらおよそ半々だとも言われている。
あえてアメリカ人でもないのに米語(日本人が思うネイティブ)を話す必要はなく、あくまで日本人として日本語訛りの英語を、きちんと相手に誤解されないように発音して伝えることが肝要なのだ。
というか、アメリカが世界に与える影響力はどんどん低下していくのが自明の理だが、英語が世界の共通語であることはもはや不変だろう。であるなら、シンガポールのシングリッシュのようにジャングリッシュで何が悪いのか。
そもそも、もともとはイギリスを経由して英単語は日本に入ってきた。だからトメイトと言わずにトマトと日本人はいうのである。

日本のテレビで常に最高視聴率をキープしている人気番組「世界の果てまでいってQ」で、出川哲朗が海外の都市にておつかいをする「はじめてのおつかいin海外」というコーナーがある。あるテーマを与えられた出川が、自分の持つ英語力のみで目的地までたどり着く(おそらくガチな)構成。日本人が懸命に発音する英語に対し、現地の人がどのように反応するががとても興味深い。

以前与えられたお題、自由の女神まで行け、に対し、出川は自由の女神のことをビッグドールとしか表現できず、それをひたすら現地の人にぶつけた。big doll big doll なのだけど、現地の人は、big door?と反芻する。つまりLとRの発音が出川(というか日本人)は使い分けられないのだ。日本人の耳には確かにbig dollとしか聞こえないのに、現地ではbig doorと判断されてしまう。改めて発音は大変重要だなあと感嘆する。
そして先日、同じ番組の出川のコーナーで、彼は幸運のイノシシを探すのだが、それを意味するlucky boarを繰り返し現地の人に聞いてると、ある人が、ROCKY BALBOA?と聞き返してるのを見て大笑いした。ここでもLとRの発音の違いから、大きく意味がそれているのだ。

日本人って、巻き舌を多用すれば現地っぽい、みたいな大きな幻想、というか過ちがある。
Ret's go!と叫んでも、英語圏の人はついては来ないだろう。

森のくまさん

森のくまさんの歌詞を改ざんしてCD化したお笑い芸人が話題になっている。
著作権の是非や内容は、それはどうでもいいが、無名の芸人を一躍世に知らしめたということでは、マスコミの業績は大きい。。
でも、「森のくまさん」、子供のころから変な歌詞だなあと思っていた。
そこに歌詞を付け加えたいとか、あのテンポのいいリズムの楽曲をもっと輝かせたいとか、思う人がいても当然だろう。

あるひ もりのなか、くまさんに出会った
花咲くもりのみち、くまさんに出会った

短い曲の中、歌詞による情報に沿って歌の情景を想像することはとても重要だと思うのだが、この導入の2フレーズ、
ほとんど意味は同じである。しかも森、出会いと、同じ言葉が繰り返される。
この訳詞で、ダメ出しはなかったのだろうか。訳詞家が声高に著作権を訴えるが、出来上がった時点で、曲にまつわるだれかが、もう少し考えようよと言わなかったのか・・・。不思議である。

例えば、
ある日 森の中 くまさんに 出会った
花咲く朝の道 それは突然だった

これがいいのかどうかは別として、このように歌い出せば、その後くまさんが、早くお逃げなさいと言った意味にも多少はつながるというものだ。

こちこちかっちん おとけいさん
「おとけいさん」って何だろう。日本語の言葉が当てはまらないからといって、時計に「お」と「さん」を付けるという荒唐無稽さ。

線路は続くよどこまでも、という旅のうた。歌詞自体は、とても元気が出て意気揚々とリズムにも乗れるスバラシイ訳詞である。後半はラララと手抜きをしているが(笑。
ところで最近流れるパナソニックのコマーシャルのバックで、この歌の元歌、英語で歌われる「線路は続くよ」が使われているのをご存じだろうか。介護など、パナソニックのヘルスケア部門の企業広告で、この歌の元気で前向きなメロディが採用のポイントとなったかと思う。

ただね。
さすがまるドメ(まるでドメスティック)と揶揄されるパナソニックだけあって、日本人はすべて、英語の歌詞が理解しないだろうと信じているに違いない。

そのリアルな歌詞は、
ぼくは一日中ずーっと線路の上で働いている・・・と始まる、まさに、身につまされるブルーカラーの労働歌。
介護の世界とは対極に位置する。

LINE、乗っ取られそうになりました。

ぼくのLINEのアカウントが何者かに乗っ取られそうになった。
すぐにアカウントを削除して、それ以降のメッセージは先方には届いていないようで一安心だが、不信なLINEのメッセージを受け取った皆さま、本当に申し訳ありませんでした。少なくとも、伊藤からは確実にもう届かないと思います。

最初に、「手伝ってくれる?」みたいなメッセが届くそうで、いかにも仕事の連絡っぽくて、本気にしてくださった方々も多かったようだ。ただ次に来たメッセージが、コンビニで商品を購入してくれとの内容で、すぐにおかしいと気づき、電話やメール、その他、さまざまに連絡をいただいた。
ご連絡をいただいた皆さま、重ねて御礼申し上げます。

そもそも伊藤がLINEをしている、ということ自体、似合わねーと言われ、正にその通り。アカウントを削除してもまったく個人のコミュニケーションに支障はないのだが、友人に言われるまま登録し、ほぼ放置の状態だった。それと、もしかしたら本業のイベント運営上で、例えば一斉に多数のスタッフにキューを出したり、メッセージを送ったりする際、トランシーバーより正確で有効なコミュニケーション手段として使えるのではないかと考えた部分もある

いったんアカウントを作ると、自分の携帯に番号登録をしていて、なおかつ相手がLINEのアカウントを持っているメンバーには、ガードしていない限り自動的に友達登録がされるようで、ぼく自身もあまり意識しないうちに、LINE上の友達関係ができてしまい、日常facebookやメールで連絡をとっていない友人・知人とも繋がっていた。

それにしても、今回の乗っ取り騒ぎで、少し不思議な、そしてウレシイ体験をした。
10年以上まったく連絡を取っていなかった友人、すっかりご無沙汰してしまった仕事仲間、以前は濃密だったのに現在少し疎遠なクライアント担当者等々。また、頻繁にメッセージのやり取りをするほど親しくはない間柄でも、ご自身がこういった障害に長けているとの自覚から、長文のメッセージや参考になるサイトのURLを送ってくださった方もいた。

もちろん日頃から親しくしている友人・仲間も含め、たくさんの皆様から乗っ取りを案ずる連絡をいただいた。また、こういった事件があったことに触れて、facebook等で情報を拡散し注意を喚起する行動をとってくださった。

確かに、乗っ取られたことは、自分だけではなく相手の皆さんも含め不安だし不愉快。
また、ほとんど使っていなかったとはいえLINEの有用性は、今後も考えないでもない。でも、乗っ取りを機会に享受した感謝の数々、そして再びスタートしたコミュニケーション。乗っ取られた憤り以上に、新しい発見や感動があった。

ホテル阪急インターナショナル喫煙コーナー

最近、仕事の関係で大阪に行くことが多い。基本的に大阪はふるさとだし、20代後半まで過ごしたのでもちろん地理的にも迷うことはない。

梅田にある高級ホテル、ホテル阪急インターナショナルは、大阪駅を隔てて反対側のリッツカールトンにこそランクでは先を行かれた感じだが、それでも、阪急阪神第一ホテルグループの最高峰に君臨することには違いない。
過去にここでパーティなども企画したことがあったけど、なかなか立派な造りを誇るボールルームだったし、客室はそれ以上に豪華だったと記憶する。

さて、このホテルは、ときどき用を足す場所としても、ぼくのトイレマップに刻み込まれている。ここはロビーにトイレがなく一番近いのは2階だが、なんと2階のトイレがいまどきシャワー洗浄付きじゃないので、宴会フロアの4階まで一気にエレベーターで上がって、宴会ロビーの化粧室を借用する。

その日も4階を目指してエレベーターを降りた瞬間、異変に気づいた。宴会場フロアのロビーがムチャ煙いのだ。タバコメーカーの宴会でもあったのか、とギョッとする。

辺りを見回して状況が読め、さらに驚愕した。宴会場のロビー片隅に喫煙コーナーがあるのだ。しかも、煙を吸い込むための分煙機が置かれているだけで、煙を逃がすダクトもなければ隔離する壁もない。要するに、宴会場のロビーで、ご自由にタバコを吸ってください、状況なのである。

ぼくが知る限り、一流と言われるホテルでは、屋根のあるパブリックスペースはすべてタバコを吸うことができない。必ず、中庭など、外に誘導される。ホテルニューオータニで仕事をしたとき、タバコを外に吸いに行けといわれて、逆上して帰った客を目撃したが、それでもホテルマンは毅然としていた。それが一流なのだ。

ただ、こういった一流ホテルでも、日本の場合は、個々の宴会場内での喫煙は客の判断にゆだねられる。ゆえ、喫煙可のパーティにしたければ、主催者が自らの責任においてそう判断すればいいだけのこと。パブリックスペースにいる客にまで害が及ぶことはない。

ホテル阪急インターナショナルの場合、おそらく各宴会場内が禁煙となったゆえの措置とは思うが、それこそ本末転倒ではないだろうか。

最近、ほとんどオフィス内で禁煙を実施していて、喫煙者は決められた場所でタバコを吸う習慣ができてきた。立派なことだと思う。ただ、そんな環境からか、ランチタイムには、食堂でカタキのように何本もタバコを吸っている人たちをよく見かける。自分たちの身内ですら禁止になっていることを、赤の他人に対しては平気な感覚が不思議である。それこそ、天に唾を吐く行為かと、天を仰いでしまう。