外食の記事 (1/4)

原田という銘酒

山口県に、「原田」という銘酒がある。
日本酒において最高の語りべの一人と尊敬する、「赤星とくまがい」の赤星さんから、この酒はいいですよと勧められて以来、メニューや冷蔵庫に見つけたら必ず頼むようにしている。ただ、今だ見つけることが困難な一本だ。

先日とある五反田の居酒屋にいったときのこと。その店は例えば滋賀の「神開」など、レアな地酒を置いており、そこに「原田」も見つけて、オオッと内心快哉を叫んだ。

ぼくは外でほとんど生ビールを注文しない。もちろん大変おいしい店もある。でも、それと同数ぐらい掃除や洗浄を怠っている店も存在し、がっかりすることも多いからだ。
その店で、いつものように瓶ビールを頼んだら、なんと冷えが足りない。
冷えていないビールと下手な文章ほど嫌いなものはない。下手な文章も書いた人に愛情があれば読めるが、冷えてないビールは救いようがない。早く「原田」が飲みたい気分はますます拍車をかけるのである。

その店には二銘柄のビールがあったので、二本目は最初頼んだものとは別にしてみたが、同様に冷えが足りない。
しょうがないぞと、まだかなりビールが残っている状態で、原田ください!と店主に声をかけた。後で反省するに、それが誤解を生んだかもしれない。

ハイヨッと軽い返事が返ってきたので、ああ、これで冷えてないビールともおさらばだと思うものの、店主はせわしく動きつつも、原田を用意する、もしくはサーブするようスタッフに指示する気配がない。
耐えきれず、再び、原田ください、とコール。
ハイハイと店主も分かってる風・・・。

それでも、店主他、スタッフもいっこうに動かない様子。
おや、どうしたのだろう。何か、どこかに間違いか勘違いがあるのではないか。
そこでぼくは、すみません、日本酒の「原田」をくださいと、丁寧にそして大声で言った。

すると店主は、
なんだ原田ですか、サラダだと思って、サラダ作っちゃったよ。
原田ねえ、今売り切れです。との回答。

原田が飲めるという喜びから一気に奈落の底へ。
あ、じゃ、そのサラダ、いただきます、という気も起きず、
(というか、生ビール同様、野菜の質も疑問なので、外でサラダを注文することはほとんどないですが)
たまたま視野に入った、臥龍梅を。
まあ、おいしかったけどね。

初サイゼリヤ

つい先日、友人の放送作家さんの熱海の別宅で花火鑑賞の会が開かれた。
久しぶりに熱海に行って、とんぼ返りの夜。放送作家がぼくの大好きな無頼派(笑)ゆえ、楽しい時間だったが、その中で「サイゼリヤ」というイタリアン? ファミレスはすごい、という話になり、実は、一度ずいぶん昔に、東京ビッグサイト近くの店にランチで入ったような記憶があるかないか、ぐらいのレベルだったゆえ、ちょっくら偵察するか、ということになった。

メニューを見ると、頭がクラクラするぐらいの価格破壊である。
コンビニで総菜を買う(買ったことないけど 笑)ぐらいの価格。そこにちゃんとしたテーブル、椅子、水、サービスがつく。
人生で最後にファミレスに行ったのも、日本ではおそらく20年近く前かなという気もするので現在のファミレス事情を全くしらないけど、この価格で経営が成り立つなら、それはそれでスゴイ。

さらに驚いたのは、ワインである。
マグナムボトルが1000円。酒屋でも1000円で売られているマグナムを見たことがない。というか、わざわざマグナムボトルを用意して1000円で売る必要があるんかなあと、首を傾げた。自分以外、酒を飲んでいるテーブルはないし、ソフトドリンクも安価で飲み放題の様子。
聞くと、飲みきれなければどうぞお持ち帰りくださいと、ビニール袋まで用意してくれるのだ。

そーか、それならとマグナムをチョイス。
(普通サイズがいくらだったかも覚えておらず 汗)
もちろん日本で瓶詰めをしていると思うし、キャップもラベルも簡素なもの。でも、いわゆる典型的なシャパいイタリアワインとしてがぶ飲みできる。このマグナムが1000円なら表彰状ものだ。
そのまま全部飲んでもよかったが、ここは持ち帰るというプランを採用。現在拙宅では、もうちょっと、もう一口ぐらい飲みたいなあというときの非常用として重宝している。


撮影許可?

グルメブログ等で、時折「撮影許可済」みたいなニュアンスの言葉を目にすることがある。

これは、自分が撮影した写真をウェブ上に掲載することに関し、店側の了解はキチンと取りました、とのアピールだと思うけど、その言葉、実はぼくには多少違和感がある。

「撮影許可済」とは、店側からのお許しであって、もちろんレストランで食事をする他の客の認可ではない。それを喫煙を例にして置き換えてみると、タバコを吸って他のテーブルの客から嫌な顔をされた際、「この店のどこにも禁煙って書いてないだろ!」と開き直っている状況と同じに見えないだろうか。

おそらく「撮影許可済」と書いている人の心理には、自分は店側に撮影の許可をとれば大丈夫であり、その行為がマナー違反であることに対する自覚があまりないのでは、という気がする。

イマの時代、レストランでは、タバコを吸うことも撮影をすることも同じくマナー違反である。ただぼくは、それをマナーに反するからやめるべきと訴えるつもりは毛頭ない。自分でも気づかないところで様々なマナー違反をしていることは少なからずあると思うし、客のひとりとして、他人の行為をとがめるだけの資格も余裕も持ち得るとは考えにくい。

ただ、マナー違反とは知りつつも、個人個人にはそれを上回る欲求(タバコを吸いたいとか写真を撮りたいとかウェブに載せたいとか)があり、周りの皆さんには申し訳ありませんが、どうかお許しくださいとの気持ちは必要だ。

ゆえ、「撮影許可済」と書いて写真を載せる行為には、上記の周りの客に申し訳ないとの気遣いがあまり感じられないのである。

隣りのテーブルから「タバコを吸ってもいいですか」と聞かれることは、最近とても多くなった。それは上記のような、タバコがマナー違反だという自覚が愛煙家の中に芽生えているからかと拝察する。

ただ、未だかつて、レストラン内にカメラを持ち込んでいいですか、とか、写真を撮ってもいいですか、と他テーブルの客から聞かれたことはない。

どうした「喜楽」

渋谷の道玄坂に「喜楽」というラーメン店があって、ぼくが東京に越してきた20年以上も前から同じ場所でずっと営業をしている。ぼくが東京初心者のころ、当時は数少なかったガイドブックで「喜楽」を知り、通うようになった。

現在は改装してしまってその面影は残らないが、行き始めたころは、麺を茹でる大きな鍋をまあるく囲むようにカウンター席があり、ひげの大将による、麺の鍋への投入から中華麺完成までのパフォーマンスも一見の価値があった。
その後、どういう経緯か突然店舗を改装して二階建てにし、一階が厨房と小さなカウンター。二階がテーブル席の、いわゆる普通の中華料理屋風になり、以前のダイナミックなひげの大将の動きもなりを潜め、味も落ちたと世間からは言われた。

でも、深みのある澄んだスープと弾力はあるのに腰は柔らかい平打ちの麺、そして当時はゴミラーメンとも呼ばれた、ゴミのように浮いている焦がしネギ(表現は悪いが、実はこれが「喜楽」ラーメンの最大の特徴であり、うまさを際立たせる役割を担っていた)。その三種が独特のシンプルな個性と完成度を生み出し、味の足し算掛け算が全盛の今のラーメン界においては逆に新鮮。味が落ちたとしても変わらぬベストなラーメンと、個人的には思っていた。

さて、先日夜。めずらしく渋谷で一人になったので、思い立って「喜楽」へと足を運んだ。少し小さくなったようにも感じるがひげの大将は健在。いつものように中華麺をオーダー。一口食べて、ん。麺が違う。上述したように、麺・スープ・焦がしネギが「喜楽」の基本中の基本。その麺が平麺からふつうの丸い麺になっている。しかも最近の流行なのか固めに茹ですぎてボソボソ感ばかりが口に残る。えらいこっちゃ。「喜楽」の麺が変わってしまった。スープをも巧みに吸い込んだ独特の平打ち麺はどこにいったのだ・・・。

あわててその場で、ラーメンならこの人、大崎裕史大兄にメール。いつもならすぐに返信をくださる大崎大兄だが、半日ほど返信がなかった、と思えば、すぐに翌日の昼に大崎さんも「喜楽」へと向かったらしく(さすが早い)、店を出た後、確かに変わりましたね・・・とメールをくれた。

さらに大崎さんは一歩踏み込んで、お店の方に「麺が変わりましたね」と質問をしたそうだが、店側は「20年前に変えて以来、変えてない」との回答。すくなくとも平たい麺が丸い麺に変われば間違いようがない。もしくは震災の影響等で仕入れが変わったのか・・・。

いずれにしても、20年以上同じスタイルで作り続けてきた「喜楽」の麺が変わったというのは、個人的には一大事。心の拠り所の一端が崩れたような気がして、店舗改装時と同じぐらいの寂しさにうちひしがれている。




イチローと斉須政雄シェフ

イチローが10年連続200本安打という偉業を達成して、先週末のニュースバラエティでは各局で特集を組んでいた。

多くの人が語るイチローの凄さとは、毎日のルーティンを絶対に変えないこと。同じ時間に起きて、同じ時間にカレーライスを食べ、同じ時間からストレッチや素振りを始める・・・。
それを10年以上も続けるのは、とてつもなく大変なことで、その努力こそが今日の結果を生んでいる。

そんなイチロールーティンの凄さをテレビで確認しながら、ぼくはあることを思い出していた。

もう10年以上も前になるだろうか。ぼくは三田にあるフランス料理店「コート・ドール」のオーナーシェフ斉須政雄ご夫妻と新潟で食事をするという機会にめぐまれたことがあった。「コート・ドール」のソワニエである新潟在住の友人が、斉須夫妻を地元のレストランに招待し、その席にぼくも呼んでいただいたのだった。

斉須さんは、当時からもちろん日本を代表するフランス料理の料理人だったが、著書や料理からにじみ出る実直そのもののお人柄。また、シェフ自ら頭が上がらないと語る奥様は、明るく快活な女性で、ずっとそんなシェフを支えてこられたんだなあと、眩しく感じていた。

その時どんなものを食べたのか、すでにほとんど記憶にはないが、地元レストランの店主が、「本日召し上がっていただく新潟の小鴨です」と、まだ羽がむしられる前の小鴨をテーブルまで持ってきたとき、斉須シェフはそれを両手に載せ、優しいまなざしで、しばらくじっとその小鴨を見つめておられた表情が印象的だった。

そして、その時どんなお話をしたのか。それも記憶が定かではないが、ひとつだけ今でも鮮明に覚えていることがある。

ぼくはね、同じ時間に起きて、同じ路を通って店に行き、いつも同じ手順で準備を始める。そうやって常に自分の毎日の流れを崩さないように邪念が入らないようにし、調理にのみ集中できる環境を作るんだ。だからぼくは、マスコミの取材も受けないしテレビにも出ない。そういったイレギュラーなことが入ると、心が乱れて調理に影響するような気がするからね。

ずっと最高レベルの料理を作り続けるため、自分のルーティンを変えない。まさに10年連続200本安打のイチローと重なりあった。

今でも斉須政雄さんがそのような生活を続けておられるのかどうか、それは確信がない。ただ、「コート・ドール」というレストランが普遍的に輝いていることを想えば、きっと今でもルーティンを変えることなく料理に対峙されていることだろう。
加えて、斉須政雄シェフがイチローよりもっとすごいのは、イチローの場合、ルーティンを守るのはシーズン中だけである。いっぽう斉須政雄シェフはずっと毎日なのである。

そういえばバブル絶頂期、東京中のすべてのレストランがクリスマスイブの夜を2回転、3回転させていたにもかかわらず、「コート・ドール」だけは、頑なに一日一回転の客しか取っていなかったことを思い出した。