交友の記事 (1/3)

花見の話題

2018年の桜は、早かった。
例年の花見の時期は、その直後、究極に忙しくなるので準備日として費やす関係で、花見どころではない。なので、早まったことがぼくにはウレシイのである。

総勢14名ぐらい、ここまで異業種な面々が集う花見もないだろうというぐらいの愉快なメンバーで、友人の会社が持っている施設での宴会。

クリニックを開業している友人がお嬢さんと奥様と三人で参加の予定が、奥様のお母さんが足の骨を折ったとかで帰郷。ぼくも同じ経験を何度もしたので(笑、大変さもよく分かる。お嬢さんは19歳で美大生。親元を離れて寮生活。パパと2人で参加だが、若々しいパパなせいか、世間一般の年ごろ娘と父に比して仲もよさげ。

となると、参加のおっちゃんおばちゃんたちは、そのお嬢ちゃんに興味津々で、いきなり注目の的。一瞬にして人気者となった。何せ、裕木奈江のデビュー当時を思わせる可憐な美少女なから、年増を相手に、はっきりと、時にはヅケヅケとモノを言う。頭の回転が速く聡明さも魅力。

もちろん寮の部屋にテレビはない。もとよりドラマとか昨今のテレビ番組には興味がない。寮生活だが、ぼくたちが想像するような寮母さんがいる施設ではなく、食事は自炊。ゆえ、各部屋ごとにある冷蔵庫の中身が自己主張の場、だそうで。

女子美大ということで、ぼくたち世代が最初にピンと来るのが、それはそれは松任谷由実、ユーミン様である。
(イルカも確かそうだったような・・・)
さっそく誰かが、そうなの、じゃ、ユーミンの後輩だね。というと、ユーミンってどなたですか。知らないですけど。
ときた。

一同絶句。誰かがおちゃらけて、え、お母さんが、♪ひこうき雲~とかって、歌ってなかった?というも、さらに場は引き撃沈した。


北の脅威

昨日、カナダトロント出身のミュージシャンと話していた。
彼はよく京都にもツアーに行くようで、つい先週、京都ツアーを行ってきたばかりという。

ライブの後京都観光や京都で打ち上げをした際、とても驚いたことがあったとつぶやく。
それは、彼の耳に、アメリカンイングリッシュがほとんど聞こえてこなかったというのである。

ぼくの耳ではかなり難しいが、ネイティブスピーカーにとって、今聞こえている英語が、イギリスなのか、アジアなのか、オーストラリアなのか、ノースアメリカなのか、聴き分けるのは比較的容易のようだ。
で、京都という日本最高の観光地には、間違いなく大量のイングリッシュスピーカーが訪れている。
彼曰く、何度も京都を訪れているが、こんなにアメリカンイングリッシュが聞こえてこないことは、過去になかったというのである。

トロント出身のカナダ人ミュージシャンはこう付け加えた。
それはひとえに、北朝鮮の脅威だと。自分の母国がいつ北朝鮮と一戦交えるか分からない緊張した状態で、最も隣国な日本は危険極まりなく、おちおち旅行などできない、というのが一般的なアメリカ人の感覚。ハワイへのアメリカ人旅行者も減っているという。

確かに昨年夏ハワイに行ったとき、アメリカのニュース番組でも北朝鮮のことを、極端に言えば日本以上に取り上げていて、ミサイルを打ち上げる映像を何ども流し脅威を煽っていた。そこまで深くて強いアメリカ人の関心事なのだ。しかもアメリカ人の多数は、戦争が始まる可能性を高く感じていて、隣国への旅行を控えている。

ベトナム戦争同様身勝手な話だなあと感じつつ、隣国で暮らすぼくたちにとっては、さらに恐ろしい。
大地震の前に、鳥が一斉に飛び立つ、そんな状況だろうか。

丸大ホール

少し低調な気持ちで川崎にいた。
夜の7時半である。自宅近辺まで、この空腹と疲れを持ち越したくないので、川崎でメシ&酒と決める。決めるといっても選択肢はほぼ一つ。「丸大ホール」である。

この店、本当にすばらしい。京浜工業地帯という、むかし地理の時間に習った死語のような言葉がリアルに蘇る店舗。朝から晩まで、あらゆる時間帯で仕事をしているブルーカラーを対象に、空腹とストレスから解放してきたオアシス。
刺身、煮込み、フライ、鍋等々の酒場としてのメニューから、オムライス、チャーハン、ラーメン、うどん蕎麦みたいな純粋なメシまで、店内の壁中にメニューが貼られ、その姿は圧巻。
6名掛けテーブルしかないので相席が基本。最近はめっきりホワイトカラーも増えたが、にしても、酒場本来の喧騒とタバコの煙(苦手ではあるが)、気のいいおばちゃんの接客は、ゆるぎない特徴だ。

その日は斜め前に寡黙な男前(もちろんホワイトカラー)が一人。タバコをくゆらせながらスマホを操作していた。酒をあおるという気配はないが、肉野菜炒めに続いてオムライスを注文。「丸大ホール」においては、かなりの手練れと見た。

そこへ陽気な二人組がなだれ込んできた。一人は関西弁である。
早速眼前の男前に関西弁の方が話しかける。
「いやー、さっきも来たんやけど満席や、ゆうんで、他でちょっと飲んでて、でもこっちに来たかったんで、もっぺん来てみたんですわ」とファンぶりをアピール。男前は常連ぽく落ち着き静かな対応ながら、丸大ホール愛については自分が大先輩との自負もありありで、かなりのピッチで語り出す。

やがて関西弁が僕の方へと飛び火してくる。
「作家とか、そんな感じですよね」
「あ、いや」
「あー、やっぱりや。そうやと思たわ」

大いに盛り上がるまで、時間はかからなかった。
それこそ瞬間湯沸し器のように、みたいな使い古された言葉を用いたくなる、古風なまでの展開である。

酒場では、プライベートな詮索は厳禁とされる。
若いころ、酒場で隣り合った先輩と盛り上がり、氏素性を尋ねて叱咤された経験が何度もある。縁があれば、またこの店で会いましょうと優しく諭された思い出もある。本来なら、そんな一期一会の世界観が酒場なのだと解釈していた。

ところがこの日は違った。そのうちの一人が、ぼくの出ている番組を観てくださっていたことも要因の一つかもしれない。ブルーカラーのための酒場にホワイトカラーも集うようになったと冒頭に書いたが、お互いの氏素性を語らうと、ホワイトもホワイト、寡黙な男前は、世界を席巻する通販会社、そして陽気な二人組は、世界の味を塗り替えた調味料メーカーだった。

「丸大ホール」が閉店となると、誰からともなく二軒目に行きましょうとの声がかかり、その夜は、さらに深く、川崎の奥へと踏み込んで行ったのだった。

ホシ子のパーティ

ぼくが大手の情報ポータルサイトで「大人の食べ歩き」というガイドをしていたとき、大げさではなく、週に1組~2組から、食事のお誘いがあった。
ホンの8年ほど前にもかかわらず、当時は、今のようにSNSで告知したらあっという間に席が埋まるような時代ではなく、特に女性は、ワリカンで構わないからちょっとしたイイ店に食事に行きたい!と思っても、なかなかそんな店に付き合ってくれる相手を探すことが難しかったんだろうなあと思う。

ところがぼくは、そういったお誘いを、すべて断っていた。今から思うと青かったなあと恥ずかしくなるが、店のレビューを書くという立場では気軽に受けるべきではない、と真面目に考えていた。また、ひとつを引き受ければ、ずっと参加しなければならなくなり、その面での公平性も保ちたいと思った。

なぜこうまでストイックだったのか、今にして振り返れば不思議だが、自分のページの画面上に、自分が推薦しない飲食店の広告がリンクされてたりすると、自分とは一切ありませんと、メルマガに書いて告知したりした。
(後でずいぶんイヤミを言われたが)

週一で配信していたメルマガに、「お誘いいただくのは光栄ですが一切お受けしません」と書き続けていたので、しだいに数は減っていた・・・、ちょうどそのころ、一通の大変興味深いメールが届いた。

食事のお誘いはお受けいただけないことは承知しておりますが、私の友人の誕生日のサプライズゲストとしてご登場いただき、私たちの前で講演をしていただけませんでしょうか。という文面。よく読むと、私たちの前で、といっても誕生日の方を含めて三人。

誕生日の友人を驚かせたいのでバースディの食事会に来てくれというオファー数はかなりにのぼるし、その理由はウレシイけど食事のお誘いには変わらないのでお断りをしていたが、講演依頼とは意表を突いてきた。しかも会場は、ぼくがそのサイトで紹介したことのある「美登里」という名の日本料理店。そして、驚かせたい女性もミドリさんというのだ。

考えたなあ。アイデアの秀逸さと熱意にすっかりやられてしまったぼくは、最初で最後の依頼を受けた。そして、そのときお目にかかった3名の女性は、日本が世界に誇る多国籍企業にて看板商品の開発に携わっておられる方々。当然ながら、皆さん聡明で、三者三様に個性的で、そして一様にチャーミングだった。なんと素晴らしい時間。こんな出会いもあるんだなあと感激の連続。ただ、やっぱりそれ以降もサイトに投稿している間は、お誘いを受けることはなかった。

そして8年が過ぎ・・・。
先週末、その三人のうちの一人、通称ホシ子の結婚披露宴にお招きをいただいた。
人はそれぞれ数奇な運命や想像つかない出会いがあるだろう。だけど、こんなステキで幸せなコトって、実際にあるのだろうか。

式は静岡県のオーベルジュで開催され、絶好の結婚式日和のなか、ウエディングドレスを着た新婦ホシ子が新郎を後ろに乗せてバイクで登場する場面から始まった。8年前のアノときと変わらない、工夫とアイデアと愛情がいっぱいに詰まったホシ子が主催するパーティ。そして、あのときのミドリさん、カオリさんと同じテーブル。

自分が食やレストランに詳しくてよかったなんて、ほとんど感じたことがないけど、やっぱり詳しくて心底よかった。

全日空のスチュワーデス

80年代の終わりから90年代の初めにかけて、ときおり食事をご一緒させていただいたスチュワーデスの女性がいた。今でこそ客室乗務員、キャビンアテンダントと称するが、当時はそんな言い方も確かなかったはず。あえてスチュワーデスと表現したい。

それこそ、80年代後半に東京のレストランシーンをけん引していた「アルポルト」「クイーンアリス」といった最先端のレストランに足を運んだ。彼女(検索すれば結局分かるんだけど、Aさんとしよう)は、ぼくより少し年上。明るくて快活で頭の回転が早い、いかにも接客業に向いているステキな方。
そしてAさんと知り合ったのは友人の結婚式。ぼくがまだ大阪に住んでいたころ、ANAのスチュワーデスと結婚した友人の披露宴司会をぽくが務め、Aさんは新婦の先輩として出席していたことが縁だった。ま、典型的な出会いパターンかな。

その後、Aさんは全日空国際線の初代客室乗務員に選抜され東京へ異動。ぼくも少しく遅れて東京に居を移し、ほとんど女性の友人がいなかったぼくにとって、Aさんの存在はとても大切だった。

と、こういう風に描くと、ステキなスッチーとのあわーい思い出話が始まったかぁ、ということになるのだが、話は「その後」に極めて盛り上がる。

その後、Aさんの再度の大阪異動がキッカケで疎遠になり、交流は年賀状のやりとり程度。いつもブルーブラック太字の万年筆による達筆なお便りがAさんらしく楽しみにしていたが、何度か東京勤務大阪勤務と繰り返されている間に音信不通となってしまった。

そんなAさんとのご縁もあり、ぼくはずっと全日空(スターアライアンス)のヘビーユーザー。国際線搭乗のみでスーパーフライヤーズ(スターアライアンスゴールド)の資格を得たが、ANAを利用した際には、時折「Aさんってご存知?」と、客室乗務員の方に振ってみたこともある。すると、「私どもの先生です」とか「大変お偉い方です」みたいな、それはぼくにとって不思議な回答だった。

というのも、何度か食事をしていた当時の彼女は、結婚して早く母親になりたい、みたいなことを言っていた記憶があり、会社に残って(というか空を飛んで)バリバリと働いている姿はあまり想像できずにいたからである。


ところが、ひょんなことで、最近そのAさんの消息を知ることになる。
しかも、まさに鳥肌が立つような驚きとともに。

なんと、Aさんは現在、5000人を超える全日空客室乗務員の文字通り最高責任者、つまり全日本空輸上席執行役員 客室本部長になっておられたのである。全日空では二人目の女性役員、だそうだ。

ぼくの友人の嫁さんに対してもそうなんだけど、Aさんはとても面倒見のいい姉御肌のタイプ。現在ご結婚されているのかどうかは存じ上げないながら、子供がほしいほしいと言っておられたAさんは、ANAの客室乗務員すべてを育てる立場になっておられた。すごいよなあ・・・。


さて、先日シンガポールの出張でANAの深夜便(0時30分発)を利用した。成田に着いてそのまま羽田から国内線へと乗り継ぐ必要があったので、ふとその乗り継ぎ時間が心配になり、薄暗い通路に通りかかった客室乗務員の方に「成田エクスプレスの時刻表をお持ちではないですか」と尋ねた。彼女は「少々お待ちください」とぼくのそばを離れ、しばらくして分厚い時刻表を携えてきた。時刻表で調べるとちょうどいい時間帯に成田エクスプレスが走っており安堵。そのまま通りかったCAの方に返却した。

シンガポールからの飛行機は朝の成田に到着。眠い目をこすりながらも、乗り継ぎがあるのでボヤボヤしてられないよーと、出口に急ぐと、そこで立って見送りをされているCAの一人に、「成田エクスプレスのお時間は大丈夫でしたか」と声をかけれらた。

消灯された機内、ぼくはどの方からお借りしどの方にお返ししたのか全く認識できずにいた。そんな状態ながら、一人の客の心配事に気づかう厚いホスピタリティ。何百との乗客に対応しながらも個に刺さるサービス。

きっとここにもAさんの思想が生きてるんだなあと、頭を垂れながら全日空機を後にしたのだった。