交友の記事 (1/2)

ホシ子のパーティ

ぼくが大手の情報ポータルサイトで「大人の食べ歩き」というガイドをしていたとき、大げさではなく、週に1組~2組から、食事のお誘いがあった。
ホンの8年ほど前にもかかわらず、当時は、今のようにSNSで告知したらあっという間に席が埋まるような時代ではなく、特に女性は、ワリカンで構わないからちょっとしたイイ店に食事に行きたい!と思っても、なかなかそんな店に付き合ってくれる相手を探すことが難しかったんだろうなあと思う。

ところがぼくは、そういったお誘いを、すべて断っていた。今から思うと青かったなあと恥ずかしくなるが、店のレビューを書くという立場では気軽に受けるべきではない、と真面目に考えていた。また、ひとつを引き受ければ、ずっと参加しなければならなくなり、その面での公平性も保ちたいと思った。

なぜこうまでストイックだったのか、今にして振り返れば不思議だが、自分のページの画面上に、自分が推薦しない飲食店の広告がリンクされてたりすると、自分とは一切ありませんと、メルマガに書いて告知したりした。
(後でずいぶんイヤミを言われたが)

週一で配信していたメルマガに、「お誘いいただくのは光栄ですが一切お受けしません」と書き続けていたので、しだいに数は減っていた・・・、ちょうどそのころ、一通の大変興味深いメールが届いた。

食事のお誘いはお受けいただけないことは承知しておりますが、私の友人の誕生日のサプライズゲストとしてご登場いただき、私たちの前で講演をしていただけませんでしょうか。という文面。よく読むと、私たちの前で、といっても誕生日の方を含めて三人。

誕生日の友人を驚かせたいのでバースディの食事会に来てくれというオファー数はかなりにのぼるし、その理由はウレシイけど食事のお誘いには変わらないのでお断りをしていたが、講演依頼とは意表を突いてきた。しかも会場は、ぼくがそのサイトで紹介したことのある「美登里」という名の日本料理店。そして、驚かせたい女性もミドリさんというのだ。

考えたなあ。アイデアの秀逸さと熱意にすっかりやられてしまったぼくは、最初で最後の依頼を受けた。そして、そのときお目にかかった3名の女性は、日本が世界に誇る多国籍企業にて看板商品の開発に携わっておられる方々。当然ながら、皆さん聡明で、三者三様に個性的で、そして一様にチャーミングだった。なんと素晴らしい時間。こんな出会いもあるんだなあと感激の連続。ただ、やっぱりそれ以降もサイトに投稿している間は、お誘いを受けることはなかった。

そして8年が過ぎ・・・。
先週末、その三人のうちの一人、通称ホシ子の結婚披露宴にお招きをいただいた。
人はそれぞれ数奇な運命や想像つかない出会いがあるだろう。だけど、こんなステキで幸せなコトって、実際にあるのだろうか。

式は静岡県のオーベルジュで開催され、絶好の結婚式日和のなか、ウエディングドレスを着た新婦ホシ子が新郎を後ろに乗せてバイクで登場する場面から始まった。8年前のアノときと変わらない、工夫とアイデアと愛情がいっぱいに詰まったホシ子が主催するパーティ。そして、あのときのミドリさん、カオリさんと同じテーブル。

自分が食やレストランに詳しくてよかったなんて、ほとんど感じたことがないけど、やっぱり詳しくて心底よかった。

全日空のスチュワーデス

80年代の終わりから90年代の初めにかけて、ときおり食事をご一緒させていただいたスチュワーデスの女性がいた。今でこそ客室乗務員、キャビンアテンダントと称するが、当時はそんな言い方も確かなかったはず。あえてスチュワーデスと表現したい。

それこそ、80年代後半に東京のレストランシーンをけん引していた「アルポルト」「クイーンアリス」といった最先端のレストランに足を運んだ。彼女(検索すれば結局分かるんだけど、Aさんとしよう)は、ぼくより少し年上。明るくて快活で頭の回転が早い、いかにも接客業に向いているステキな方。
そしてAさんと知り合ったのは友人の結婚式。ぼくがまだ大阪に住んでいたころ、ANAのスチュワーデスと結婚した友人の披露宴司会をぽくが務め、Aさんは新婦の先輩として出席していたことが縁だった。ま、典型的な出会いパターンかな。

その後、Aさんは全日空国際線の初代客室乗務員に選抜され東京へ異動。ぼくも少しく遅れて東京に居を移し、ほとんど女性の友人がいなかったぼくにとって、Aさんの存在はとても大切だった。

と、こういう風に描くと、ステキなスッチーとのあわーい思い出話が始まったかぁ、ということになるのだが、話は「その後」に極めて盛り上がる。

その後、Aさんの再度の大阪異動がキッカケで疎遠になり、交流は年賀状のやりとり程度。いつもブルーブラック太字の万年筆による達筆なお便りがAさんらしく楽しみにしていたが、何度か東京勤務大阪勤務と繰り返されている間に音信不通となってしまった。

そんなAさんとのご縁もあり、ぼくはずっと全日空(スターアライアンス)のヘビーユーザー。国際線搭乗のみでスーパーフライヤーズ(スターアライアンスゴールド)の資格を得たが、ANAを利用した際には、時折「Aさんってご存知?」と、客室乗務員の方に振ってみたこともある。すると、「私どもの先生です」とか「大変お偉い方です」みたいな、それはぼくにとって不思議な回答だった。

というのも、何度か食事をしていた当時の彼女は、結婚して早く母親になりたい、みたいなことを言っていた記憶があり、会社に残って(というか空を飛んで)バリバリと働いている姿はあまり想像できずにいたからである。


ところが、ひょんなことで、最近そのAさんの消息を知ることになる。
しかも、まさに鳥肌が立つような驚きとともに。

なんと、Aさんは現在、5000人を超える全日空客室乗務員の文字通り最高責任者、つまり全日本空輸上席執行役員 客室本部長になっておられたのである。全日空では二人目の女性役員、だそうだ。

ぼくの友人の嫁さんに対してもそうなんだけど、Aさんはとても面倒見のいい姉御肌のタイプ。現在ご結婚されているのかどうかは存じ上げないながら、子供がほしいほしいと言っておられたAさんは、ANAの客室乗務員すべてを育てる立場になっておられた。すごいよなあ・・・。


さて、先日シンガポールの出張でANAの深夜便(0時30分発)を利用した。成田に着いてそのまま羽田から国内線へと乗り継ぐ必要があったので、ふとその乗り継ぎ時間が心配になり、薄暗い通路に通りかかった客室乗務員の方に「成田エクスプレスの時刻表をお持ちではないですか」と尋ねた。彼女は「少々お待ちください」とぼくのそばを離れ、しばらくして分厚い時刻表を携えてきた。時刻表で調べるとちょうどいい時間帯に成田エクスプレスが走っており安堵。そのまま通りかったCAの方に返却した。

シンガポールからの飛行機は朝の成田に到着。眠い目をこすりながらも、乗り継ぎがあるのでボヤボヤしてられないよーと、出口に急ぐと、そこで立って見送りをされているCAの一人に、「成田エクスプレスのお時間は大丈夫でしたか」と声をかけれらた。

消灯された機内、ぼくはどの方からお借りしどの方にお返ししたのか全く認識できずにいた。そんな状態ながら、一人の客の心配事に気づかう厚いホスピタリティ。何百との乗客に対応しながらも個に刺さるサービス。

きっとここにもAさんの思想が生きてるんだなあと、頭を垂れながら全日空機を後にしたのだった。

さてと、今夜はどこへ行く?

「さてと、今夜はどこへ行く?」というブログがある。おそらくは渋谷界隈にお住まいの方の酒場探訪記なんだけど、その酒場を紹介する内容ではなく、「呑む」という行為にまつわる、著者のごくごく個人的かつ秀逸なエッセイと呼ぶのがふさわしい。掲載写真は訪問された酒場の様子なのに、その文章は写真とはほとんど関係なく、つねにウイットに富み、奇想天外に進行し、そして、酒飲みならではのオチがある。

ぼくも楽しく読ませていただいているが、実は、ぼくよりも先にその面白さを発見しぼくに紹介してくれた女性がいた。彼女は、ぼく以上に酒飲みで、酒場が好きで、そして「さてと、今夜はどこへ行く?」の著者を、「今夜はどこへ行く」さん、と呼び、彼がブログで紹介している酒場を探して、時折出かけるほどのファンであった。

さて、その彼女は神泉のとある酒場で、周りからひとり異彩を放つ壮年の紳士と出会った。そこは店全体が和気藹々と賑わっていて、知らない客同士が気軽に声をかけ、嫌味なく会話が始められるような、そんな雰囲気の店で、彼女とその友だちは、なんとなく、その一人で訪れている紳士と話をしたそうだ。
その方は、一人で呑む姿もサマなっていて、小説家か役者といった風情。会話のセンスも抜群で、とても楽しかったという。ただ、意外にも料理や店の写真を時々写している姿を見て、彼女はハッとした。

もしや「今夜はどこへ行く?」さんかしら。

彼女はその驚きや自分がソコに気づいたことで密かに興奮したものの、その紳士が店を辞した後、店のスタッフに聞いても「ただの常連さん」としか分からず、確証を得ることが出来なかった。

その数日後。
彼女は再び神泉の酒場で飲もうと、友人を伴ってある店に入ったところ、そこでまた、紳士というより、彼女曰く「今夜はどこへ行く」さんを発見した。
「あ、どうも」と即座に声をかけたが、どうやら「今夜はどこへ行く」さんは彼女のことを覚えていなかったらしく、最初はえっ、という表情をされたと言う。ただ、彼女は「先日○○でお目にかかりましたよね」と重ねると、はっと思い出したらしく、相好を崩された。

彼女の予想は、確信となった。あの人はきっと「今夜はどこへ行く」さんだ!
後は、「さてと、今夜はどこへ行く?」のブログ上で、2軒の店のいずれかが登場すれば、ビンゴ! となるはず。毎日更新されるのが待ち遠しい日々が続いた。

そしてそのビンゴは、劇的な形でやってきた。

「今夜はどこへ行く」さんのブログに、彼女が登場したのである。
ブログによると、「今夜はどこへ行く」さんは、最初彼女に気づかなかったことを、自分は目が悪いのだが、その日はメガネを忘れちゃって・・・とのとっさの言い訳で弁解をした。当の本人が読んでいるともご存知なく、実は目が悪くないのに近眼のフリをし続けないといけないなと自分を戒めたことまで吐露されていた。

ブログをきっかけとし、リアルとバーチャルが入り混じった、不思議な、酒飲み同士らしい出会いの話である。
さてと、今夜はどこで飲めば、「今夜はどこへ行く」さんと会えるだろう。

越智まどかさんとピアノ

パリ在住の友人にしてピアニストの越智まどかさんが来日。日本でコンサートツアーをされていて、昨日の東京公演に行ってきた。場所は、ヨーロッパでは日常的に行われている教会でのコンサートを日本でも実現したい、とのコンセプトで「東京ユニオンチャーチ」。

「東京ユニオンチャーチ」は、東京のど真ん中、表参道沿いの一等地にあるにもかかわらず、教会内はほぼ日本語が通じない状況。さらに驚いたのは、この教会、創立が1872年だそうで、大政奉還の6年後、ってこと??

そんな話はさておき、まどかさんのピアノ。
まどかさんは在仏15年。フランスですでにアーチストビザを取得してパリを中心活動しており、ヨーロッパでのコンサート活動の他、パリでもっとも有名な鮨屋の娘(もちろん日本人)にピアノを教えたりもしている(笑。あ、そういえば、フランスでのサッカーW杯では通訳の仕事もこなしたと聞いた。

彼女は、パリ市内サンルイ島にある築ン百年のアパートで暮らしていて、パリでお目にかかると、まさにパリジェンヌのオーラがムンムン。いっぽう彼女のピアノは正統派クラシックにこだわるところもあって(決して悪いことではないけど)、少しハメを外したり、パリジェンヌらしい色気やエンタメ性があってもいいよなと思うトコロもあった。ところが昨日は、「ラヴィアンロース(バラ色の人生)」や「イム・ア・ラムール(愛の賛歌)」などエデットピアフのナンバーを弾くなど、一皮むけた感じでとてもリラックスして楽しめた。もっともっと多くの友人を誘えばよかったと後悔。

そんな彼女が、演奏途中で語った印象的な言葉を残しておきたい。

「楽器のほとんどは、自分の指以外の身体の一部が常に楽器に触れていて、とりわけ、アコーディオンやチェロやチューバなどは楽器を抱いていて、微妙な振動や音の変化を身体全体で受け止めることができるのね。でも、ピアノは楽器と向き合う形ゆえ抱きしめることができないのが一番さびしいし、またそうやって楽器を奏でられるアーチストをうらやましく思うんです」

「どこの店がいいですか?」

昨日も食事中の話題となったが、それは「どこの店がいいですか?」とよく聞かれますよねえ、ということ。特に初対面で自分は相手のことを知らないが相手は自分の書いたものを読んでいただいてるような場合は、確実にほぼ100%質問される。

もちろん、地域や予算、レストランのジャンル、行く相手などを詳しく教えていただければ何軒でもお応えできるけど、漠然とどこがいいですかと聞かれても、沢山ありすぎてピックアップしようがない。

またぼくの信条として、レストランで食事中に別のレストランの話をしない(特に同じジャンル)というのがあるので、余計に答えるのが苦痛である。

昨日の話で、ごくごく誰もが納得する有名店を挙げるようににしているとの意見もあったが、その時「なーんだ」みたいな顔をされることも多く、だったら聞くなよと結局不快になるようだ。

ぼくの場合も、上記の方と同じような答えを持っていて、その店は「レストランひらまつ」。
これは半分本当であり半分ウソである。そして半分オフェンスであり半分ディフェンスである。

確かに「ひらまつ」には20年以上通っていて紆余曲折も存じ上げているし、どこから突っ込まれても、ま、困ることはない。かといって総合的に自分の中でのナンバーワンかというと、それもまた揺れ動く。また、ぼくにその質問を浴びせてくる多くのグルメコレクター系で「ひらまつ」を知らないヒトはいない、がしかし、毎日新しくできる店を追っかけている面々にとって、ひらまつ系から独立した「ラール・エ・ラ・マニエール」には行っても、きちんと「ひらまつ」で食事をした機会のあるヒトは少ない。

つまり、なーんだと失望され、彼らにとって目新しい情報とはならなくても、かといってそれに反論する持ち駒もない、というわけだ。

ところで。
先日「カンテサンス」のシェフ、シェフソムリエを交えて食事をした話を書いた。その席でも、いつもの質問が出るかなあ・・・と若干答えを用意しつつ望んだ。

ただ、案の定その質問が来たときに、ぼくは「ひらまつ」かな、とわりといつもどおりに答えてしまった。
(東では、との聞き方をされたのでそう言った。西はとの質問には、同郷のシェフソムリエと大いに盛り上がったが、その話は別の機会で)

するとそれに反応した岸田シェフの答えが、あまりにも素直で嬉しい言葉で、実は目頭が熱くなったわけだが、それはここだけの話にしておこう。

「ひらまつのようなレストランがあり、また、そこを愛してやまない方がおられるからこそ、今の自分があるんだと思います。そういった方をぼくは尊敬します」。