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交友の記事 (1/3)

おめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
昨年末から、映画ボヘミアンラプソディのQueenのこととか、一度書いた朝ドラ「まんぷく」の続編、菅田将暉を登場させておいてひとことも大阪弁をしゃべらせない憤りとか、高輪ゲートウェイという駅名の不経済さを大阪のそば屋の看板に例えたりとか。書きかけのまま年を越し、一気にネタが古くなってしまった。
Queenの映画はまだ上映中のようだが、高輪ゲートウェイへの批判などすっかり消えてしまった。

そんなことをに忸怩たる思いで迎えた新年。今年はとても幸せな幕開けだった。
カレンダーの関係で長かったことも功を奏して、3日から6日まで4日連続で、大学時代のゼミ友、大学時代の二か所でのバイト友、就職活動中に出会い一生の友人となった男と立て続けに会うことができた。
当然皆同世代ゆえ、環境も先行きも体力も同じ。ほぼ変わらないテーマで悩んで躓き活路を見出してと、そんな話は感涙の連測だ。

そして、久しぶりの大阪での連続飲み食いの結果、あまりにも単純なことに気づく。
なんて物価が安いんだ。肌感覚でなら東京の3割は安い。同じ給料をもらってるビジネスマンなら、1.5倍豊かな暮らしができるのだ。しかも、都市生活として大阪が東京に欠けるものってあるだろうか。ただし、仕事以外は(残念ながら)。

なのに、なにゆえ東京に固執するのか。もちろん東京でなければ食べられないものもいくつかある。
ただ途方もなく高額だ。それを払って口にする価値はいかほどか。だったら日本以外の国で食べた方がいいのではないかという妙案も浮かぶ。

当分自問自答が続きそうである。

富士メガネ

友人から、もう8年ぐらい同じメガネを使っているので、そろそろ買い替えようかと思っている、どこかいいメガネ店を知らないかと訊かれた。立ち食い蕎麦からメガネ店までを網羅するぼくは(笑、自分がもう10年以上をお世話になっている「富士メガネ」を迷わず推薦。
若いころは、見えさえすればいい安売り店ばかりを渡り歩いていたものの、目の老いや重要性を感じる歳になって以降、大手町にある「富士メガネ」まで丸の内線で通っている。

「富士メガネ」の創業者は、ある時テレビを観ていて、経営の神様と呼ばれた松下幸之助の眼鏡があまりにひどいのに気づき、当時札幌にしかこの店はなかったそうだが、わざわざ大阪まで出向いて松下幸之助を訪ね、あなたはそれなりの人なのだから、もう少しちゃんとした眼鏡を選びなさいと諭したという逸話がある。
突然訪ねて行って経営トップに会えるのか、という信じがたい点も気になるが、なかなかいいストーリーではある。

友人はその話を聞いて気をよくし、早速「富士メガネ」に出かけ、視力検査など3時間かけて10万近いメガネを購入。紹介者のぼくにお土産までもらってきてくれた。

その後彼は、帰宅して奥さんにそのことを話したところ、
あんた、なんでそんな高いメガネ買ったのよ。そんなお金どこにあるの。もうちょっと考えなさいよ、と怒鳴られたらしい(笑 彼は小さい規模ながらも社長で、決してお金がないわけではないと思う)。
加えて、
なによ、そのセンスの悪いダサいメガネ。そんなに高いお金を出すなら、もう少しカッコいいもの選べないの。情けない!

買いに行ったその日にメガネが出来上がる訳もなく、8年前から毎日かけているメガネをさして、そう言われたらしい。
結婚26周年夫婦の、ステキな逸話だ。

花見の話題

2018年の桜は、早かった。
例年の花見の時期は、その直後、究極に忙しくなるので準備日として費やす関係で、花見どころではない。なので、早まったことがぼくにはウレシイのである。

総勢14名ぐらい、ここまで異業種な面々が集う花見もないだろうというぐらいの愉快なメンバーで、友人の会社が持っている施設での宴会。

クリニックを開業している友人がお嬢さんと奥様と三人で参加の予定が、奥様のお母さんが足の骨を折ったとかで帰郷。ぼくも同じ経験を何度もしたので(笑、大変さもよく分かる。お嬢さんは19歳で美大生。親元を離れて寮生活。パパと2人で参加だが、若々しいパパなせいか、世間一般の年ごろ娘と父に比して仲もよさげ。

となると、参加のおっちゃんおばちゃんたちは、そのお嬢ちゃんに興味津々で、いきなり注目の的。一瞬にして人気者となった。何せ、裕木奈江のデビュー当時を思わせる可憐な美少女なから、年増を相手に、はっきりと、時にはヅケヅケとモノを言う。頭の回転が速く聡明さも魅力。

もちろん寮の部屋にテレビはない。もとよりドラマとか昨今のテレビ番組には興味がない。寮生活だが、ぼくたちが想像するような寮母さんがいる施設ではなく、食事は自炊。ゆえ、各部屋ごとにある冷蔵庫の中身が自己主張の場、だそうで。

女子美大ということで、ぼくたち世代が最初にピンと来るのが、それはそれは松任谷由実、ユーミン様である。
(イルカも確かそうだったような・・・)
さっそく誰かが、そうなの、じゃ、ユーミンの後輩だね。というと、ユーミンってどなたですか。知らないですけど。
ときた。

一同絶句。誰かがおちゃらけて、え、お母さんが、♪ひこうき雲~とかって、歌ってなかった?というも、さらに場は引き撃沈した。


北の脅威

昨日、カナダトロント出身のミュージシャンと話していた。
彼はよく京都にもツアーに行くようで、つい先週、京都ツアーを行ってきたばかりという。

ライブの後京都観光や京都で打ち上げをした際、とても驚いたことがあったとつぶやく。
それは、彼の耳に、アメリカンイングリッシュがほとんど聞こえてこなかったというのである。

ぼくの耳ではかなり難しいが、ネイティブスピーカーにとって、今聞こえている英語が、イギリスなのか、アジアなのか、オーストラリアなのか、ノースアメリカなのか、聴き分けるのは比較的容易のようだ。
で、京都という日本最高の観光地には、間違いなく大量のイングリッシュスピーカーが訪れている。
彼曰く、何度も京都を訪れているが、こんなにアメリカンイングリッシュが聞こえてこないことは、過去になかったというのである。

トロント出身のカナダ人ミュージシャンはこう付け加えた。
それはひとえに、北朝鮮の脅威だと。自分の母国がいつ北朝鮮と一戦交えるか分からない緊張した状態で、最も隣国な日本は危険極まりなく、おちおち旅行などできない、というのが一般的なアメリカ人の感覚。ハワイへのアメリカ人旅行者も減っているという。

確かに昨年夏ハワイに行ったとき、アメリカのニュース番組でも北朝鮮のことを、極端に言えば日本以上に取り上げていて、ミサイルを打ち上げる映像を何ども流し脅威を煽っていた。そこまで深くて強いアメリカ人の関心事なのだ。しかもアメリカ人の多数は、戦争が始まる可能性を高く感じていて、隣国への旅行を控えている。

ベトナム戦争同様身勝手な話だなあと感じつつ、隣国で暮らすぼくたちにとっては、さらに恐ろしい。
大地震の前に、鳥が一斉に飛び立つ、そんな状況だろうか。

丸大ホール

少し低調な気持ちで川崎にいた。
夜の7時半である。自宅近辺まで、この空腹と疲れを持ち越したくないので、川崎でメシ&酒と決める。決めるといっても選択肢はほぼ一つ。「丸大ホール」である。

この店、本当にすばらしい。京浜工業地帯という、むかし地理の時間に習った死語のような言葉がリアルに蘇る店舗。朝から晩まで、あらゆる時間帯で仕事をしているブルーカラーを対象に、空腹とストレスから解放してきたオアシス。
刺身、煮込み、フライ、鍋等々の酒場としてのメニューから、オムライス、チャーハン、ラーメン、うどん蕎麦みたいな純粋なメシまで、店内の壁中にメニューが貼られ、その姿は圧巻。
6名掛けテーブルしかないので相席が基本。最近はめっきりホワイトカラーも増えたが、にしても、酒場本来の喧騒とタバコの煙(苦手ではあるが)、気のいいおばちゃんの接客は、ゆるぎない特徴だ。

その日は斜め前に寡黙な男前(もちろんホワイトカラー)が一人。タバコをくゆらせながらスマホを操作していた。酒をあおるという気配はないが、肉野菜炒めに続いてオムライスを注文。「丸大ホール」においては、かなりの手練れと見た。

そこへ陽気な二人組がなだれ込んできた。一人は関西弁である。
早速眼前の男前に関西弁の方が話しかける。
「いやー、さっきも来たんやけど満席や、ゆうんで、他でちょっと飲んでて、でもこっちに来たかったんで、もっぺん来てみたんですわ」とファンぶりをアピール。男前は常連ぽく落ち着き静かな対応ながら、丸大ホール愛については自分が大先輩との自負もありありで、かなりのピッチで語り出す。

やがて関西弁が僕の方へと飛び火してくる。
「作家とか、そんな感じですよね」
「あ、いや」
「あー、やっぱりや。そうやと思たわ」

大いに盛り上がるまで、時間はかからなかった。
それこそ瞬間湯沸し器のように、みたいな使い古された言葉を用いたくなる、古風なまでの展開である。

酒場では、プライベートな詮索は厳禁とされる。
若いころ、酒場で隣り合った先輩と盛り上がり、氏素性を尋ねて叱咤された経験が何度もある。縁があれば、またこの店で会いましょうと優しく諭された思い出もある。本来なら、そんな一期一会の世界観が酒場なのだと解釈していた。

ところがこの日は違った。そのうちの一人が、ぼくの出ている番組を観てくださっていたことも要因の一つかもしれない。ブルーカラーのための酒場にホワイトカラーも集うようになったと冒頭に書いたが、お互いの氏素性を語らうと、ホワイトもホワイト、寡黙な男前は、世界を席巻する通販会社、そして陽気な二人組は、世界の味を塗り替えた調味料メーカーだった。

「丸大ホール」が閉店となると、誰からともなく二軒目に行きましょうとの声がかかり、その夜は、さらに深く、川崎の奥へと踏み込んで行ったのだった。