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お笑い番組

広告が出てしまった。
広告が出る前に(せめて一か月はあくことなく)書き続けたいと思いつつ、
3月4月はデッサンどころではない、原稿のボリュームが公私ともに多かった。

画家でもピアニストでも、本作やコンサートが続いているときにも、
やはりデッサンやソナタを弾くのだろうか。そりゃ、するよな。

ところで、
最近のマイブームは、「ブルゾンちえみ」って知ってる?
と、聞くこと(笑。皆さんご存知だろうか。
先日男4人でクルマで旅をしている車中、その質問をしたら、
2対2、二人が知らなかった。

否定する人も多いが、ぼくはテレビのお笑い番組が好きである。
大阪人というのは大きいし、仕事がエンタメに絡んでいることも理由の一つ。
特にM-1グランプリ(若手漫才師のコンクール)は、音楽・映画を含めたあらゆる国内で開催される賞レースでも、
もっとも秀逸だと密かに思っている。
なにより、中川家から始まって、ますだおかだ、アンタッチャブル、チュートリアル、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、サンドウイッチマン、ノンスタイル・・・。優勝者は今も一線で活躍している。
それだけ審査の精度が高いということだ。

恩田陸の「蜜蜂と遠雷」でもうまく描かれているように、コンクールにおいて重要なのは、
審査員である。M-1グランプリが、なによりコンクールとして優れているのは審査員。
この審査員を選んでいるスタッフに、ぼくは心から拍手を送りたい。

ちなみに昨年の審査員は、
松本人志、上沼恵美子、博多大吉、中川家礼二、オール巨人。
松本、上沼、巨人師匠あたりはすでに定着しているが、それに加えて博多大吉、礼二の二人を選んだ点には、お笑いファンとして敬服する。

M-1グランプリは、予選は各審査員の得点の合計で上位3組が残り、
決勝は、審査員がそれぞれよかったと思うコンビに投票する。ゆえ、レコード大賞とかと違い、審査結果の透明性もまた番組の魅力なのだ。
審査員5名が、決勝に残った3組のネタを改めて見てだれに投票するのか、というのも視聴者として見どころの一つ。
オール巨人、上沼恵美子は本命に投票(想像の範囲)、博多大吉、松本人志は、当初から本命には投票しないだろうと考えていたが、その通り彼らの職責を果たした(決勝で一票をいただけたという若手漫才師への貴重なプレゼントを贈った)。

さて、中川家礼二。彼は、どのコンビに投票するのだろうか。
予想に反して本命に投票し、最後の一言コメントで「どんなに人気者になっても漫才を忘れるなよ」といった。
礼二はこれを言うために本命に投票したんだろうな。

どわっーと涙があふれ出た。
お笑いで泣くなよ(自分。


サザンオールスターズという存在

ご縁があって、サザンオールスターズの東京ドームコンサートに行ってきた。
コンサート自体、思いっきり楽しめたけど、それ以上に、コンサートの予習として聴き込んだ、ツアーにも銘打たれている「葡萄」というニューアルバムが大変すばらしいものだった。

それは、桑田佳祐という人が放つ同時代性である。
誤解を恐れず言えば、「葡萄」というアルバムで歌われる内容は、
ほぼ「酔っ払う」「抱き合う」「平和を願う」の三点。
この三点が「2014年の50代後半のオトコ目線」という、限りなく狭い意識と視点で描かれているのだ。自分は桑田佳祐より少し若いが、それでもまさに、その狭い領域にストンと入る。それはもう、共感しまくりである。

ただ、それにもかかわらず会場は大半が女性。そして年齢もバラバラ。サザンファン歴20年ですぅといった、アラフォ―がコアのようにも見える。

ピンク映画 歌舞伎町とハシゴして とか、
この時代こそ「未来」と呼ぶのだろう 

みたいな表現が響く世代ではないと思う。
でもコンサートでは、彼女たちも情熱的に絶え間なくエールを送り続けている。
女性は50代後半のオトコと違い、音楽を点ではなく面や立体でとらえることができるのだろう。

話は変わるが、ぼくが生涯で初めて購入したCDは(LPではなく)、サザンオールスターズの「kamakura」である。1985年のことだ。
海を想起させる湘南バンドと位置付けられていた彼らが、当時のミュージックシーンを席巻していた電子楽器を駆使したファンクサウンドに挑戦した、という触れ込みで、自分が初めて鳴らすCDに選ぶにふさわしいと思ったからだ。

「葡萄」を何度も聴いているうち、そんなことを突然思い出し、拙宅に残っていないか探すももはや見つからない。Amazonで調べると2008年にリマスター盤が出ていることが分かり、瞬間「kamakura」を購入していた。
レコードに針を落とした瞬間のボッという音、そしてイントロが始まるまでにジリジリと鳴るノイズがなく突然始まるドラムに30年前嬉々としたことを思い出しながら。
そして、レッドツェッペリンやディープパープルのアルバムを改めてCDで買いなおしたときのような、そんな感覚で楽しんでいる。

愛情の程度まで デジタルのカウントで計られる
単調な画面には 呼びかけた表示が舞い踊る

そう、彼は1985年も、まさにその同時代を唄っていたのだった。

ポール・マッカートニーとかミック・ジャガーとか。桑田佳祐よりもはるかに年上の海外のアーチストが、今でも日本にやってきて、日本の市場で巨額の富を得ている。彼らのパワーには頭が下がるが、言うなれば「昔の名前で出ています」状態であり、イマを同時代の言葉で歌うというわけではない。

そんな意味で、世に登場して40年弱。デビューから昨年の「葡萄」まで、桑田佳祐は、サザンオールスターズは、常に時代と向き合い同時代を歌ってきた、世界にも類を見ないミュージシャンということになる。ある意味、日本の誇りであり日本の宝なのかもしれない。そして、10年後、20年後にまで期待を寄せることができる、唯一のアーチストでもある。

ザックの通訳

イタリアには何度か行ったとこがあるけど、イタリア語については全く理解できない。
せいぜい分かるのは、簡単な挨拶とメニュー程度である。
なので、これから書くことは、イタリア語がご専門の方にしてみれば、大きな間違いかもしれない。

それを前提にして、自分の肌で感じたこと。
ザッケローニ新監督のイタリア語通訳(矢野大輔さんというらしい)は、とてもすばらしい。今の新しい日本代表チームが、すばやく監督の意図するところをくみ取り、都度話し合いながらグングン成長していく過程を見ても、いかに通訳の伝える能力が高いかを想像することができる。

実は、ぼくもイタリア語やフランス語の通訳をお願いして、実際にヨーロッパで仕事をしたことが何度かある。その際、クライアント側が政府の要人にも対応するキャリア豊富な方にお願いしてくださったのだが、自分のチーム専用とはいかない様子だったので、現地に住む友人を介して、もうひとり当方持ちで通訳を雇った。

その時来てくれた男性とは今でも付き合いのあるいい出会いだった。ドレッドヘアーに大阪弁。敬語も完璧には使えない兄ちゃんで、聞けば漢字はあまり読めないという。「おいおい、そんなんで大丈夫か?」と当初は不安に思ったものの、実に通訳センスに優れ、上手にコミュニケーションが作れる、とても気持ちのいいヤツだった。

キャリアもあり自信のある通訳の方なればこそ、もしかしたら相手のいうことを一言一句すべて訳して伝えなければならないと考えるのかもしれない。でも、ぼくがなんらかのオーダーを出し、それを通訳して相手が即座に渋い顔をしたり首を横に振ったりすれば、それは言葉を介さなくてもNOの合図。真面目な(というか、自分が優れていると勘違いをしている)通訳の方は、それもわざわざ「今回の場合は受けられないです」みたいな訳を付ける。

そんなナンセンスな会話のキャッチボールは、時間もかかるしコミュニケーションもギクシャクする。まして、相手側は首を横に振っただけなのに、何らかの言葉で通訳されると、自分が伝えたい以上の情報が通訳から勝手に伝わっているのではないか、と、いぶかってしまう。

その点、ドレッドの兄ちゃんは、最初からほとんど必要最小限しか訳していないように感じた。言葉が足りているのかなあとは思ったものの、彼を通じで会話を進めれば進めるほど、ストレスを感じることなく言語の分からない者同士円滑なコミュニケーションの取れることが分かってきた。しかも、こちらが重要なことやぜひとも訴えたい内容は、その熱意を汲み取って熱く厚く語っていることも気づいた。

最終的には、クライアント側もそのキャリア十分の通訳を使わずに、ドレッドの兄ちゃんに来てくれ来てくれとオーダーし、後半は引っ張りダコだった。一緒に仕事をしたすべてのみんなが、兄ちゃんの通訳センスを実感したんだと思う。

さて、ザッケローニ監督の通訳、矢野さんのこと。
韓国戦に勝利し、監督のインタビューとなったシーン。

いつも、かったるいなあと思うのだが、インタビュアーは、自分がステキな言葉を用意してきたと誇示するかのようにダラダラと長い質問をする。と、矢野さんは、質問の後半にかぶせるように一言二言で監督に伝え、監督は、インタビュアーの日本語が終わると同時ぐらいに、しゃべりだした。
そして、続いてのダラダラと長い日本語の質問にも、ほとんど二言ぐらいで伝えるものの、監督からはたっぷりと答えを引き出している。矢野さんがいれば、冗長すぎる日本人のインタビュアーなんて不要じゃないのかなあとさえ思えるのだ。

さてさて、明日の夜。ゲームの成り行きが最大の注目ではあるが、またまた勝利監督インタビューで冴えわたる矢野さんの通訳も楽しみだ。

峰打ち

日本の時代劇では、峰打ち(みねうち)というすばらしい言い訳がある。

時代劇は勧善懲悪がお約束。必ず悪は最後に懲らしめられ滅びる。ただ、善であるのに悪人をバッサバッサと刀で切りつけることに対し、日本人的になにかしらの違和感がある。そこで峰打ちの登場だ。ご承知のように峰打ちとは、日本刀の背面にあたる峰の部分で相手を叩くこと。刀の部分ではないので、一応命には別条がないとの解釈ができる。水戸黄門での助さん格さんは、この峰打ちを多用する。いつも刀を裏返すとき、カキン!と効果音が入り(実際にはこんな音がするわけがないのだが)、峰打ちであることを強調する演出も定番だ。

ところで先日、アンジェリーナ・ジョリー主演の映画「ソルト」をツタヤで借りて観た。アクション映画としては、アンジーファンの満足のみに終わらない、よくできた作品で、いざアンジーが悪なのか善なのか、最後まで明かされずにハラハラする台本も秀逸。

(以下、ネタバレごめんなさい)ただ、ハリウッド映画の最大のお約束は、勧善懲悪、というか勧米懲悪。例えば、シュワ氏が悪役で登場した「ターミネーター」で一躍人気者となったとたん、続編の「ターミネーター2」では、自分より優れたサイボーグから人間を守るためにわが身を投げ打つ役という、驚愕の転身。これぞまさにハリウッドの真骨頂だと、徹底したステレオタイプを貫く姿勢にあらためて感服したこともある。

つまりアンジー主役の「ソルト」でも、最初からアンジーが悪役ではない、ということを誰もが信じつつ、多くの安心感と少しの不安感の中で展開を見守る。そしてその結末は最後の最後まで分からない。とてもうまい構成だと思う。

ただなあ・・・。逃げる「ソルト」役のアンジーは、追ってくるFBIやCIAの人間をほとんど銃で撃つことをしない。素手で大の男を何人も倒し気絶・無力化させる。つまり銃で「峰打ち」することは不可能なので、相手を殺さない大前提としては、アメリカ映画ではカンフーしかないわけだ。

パンパンと、自分に対抗する勢力をピストルやマシンガンで撃つアメリカ映画を見慣れていると、アンジーが戦うシーンで突然カンフーになることにかなりの違和感があるし、やっぱりな・・・、というネタバレの思いも募る。さらに、細い女性が屈強のシークレットサービスを素手で倒し、そんな彼らが一様に気絶して無抵抗になる場面にリアリティがなさすぎる。そのリアリティのなさに制作者側も気づいているのか、アンジーは、スパイ養成所時代からどんなに優秀な生徒だったかという回想シーンも少々長すぎ。

実際に人に銃を向けた経験のある元兵士も豊富にいて、そういった実体験に基づいた映像を作るハリウッドに比べ、日本の時代劇のチャンバラシーンには全く戦闘としてのリアリティはないけど、峰打ちとは、なかなかうまい「言い訳」だなあと改めと関心してしまった。

めちゃイケ オーディション

フジテレビの人気お笑い番組「めちゃめちゃイケてる」、通称「めちゃイケ」が、その出演メンバーである長期休養中の岡村隆史の穴を埋めるべく、全国で新メンバーのオーディションを展開した。

なんとなくそのオーディションを断片的に見ていたが、全国各地の「めちゃイケ」ファン素人から明石家さんまといった超大物までオーディションに参加するなど、構成的にも面白い番組となっていた。

そして先週の土曜日、最終選考のライブ中継があり、リアルタイムでは見ることができなかったが、昨夜その録画を見た。オーディションの結果はポータルサイトのトピックスにも掲載されるほどの話題性だったけど、結果を知ってもつまらないので、その記事は読まないようにし録画再生に望んだ(笑。

その最終オーディションはなかなか白熱した緊張感の高いもので、見ごたえがあった。テレビの裏側的見方をすれば、人気芸人の場合は当然スケジュール管理や会社との交渉も必要だろうから、当初「じゃるじゃる」の参加があらかじめ決まっており、あまりに人気コンビのみの補充では面白味に欠けるとの判断で、全国オーディションみたいな企画が生まれたのかなあという気もした。

そして、ファイナリスト10組の中から予想通りの「じゃるじゃる」を含め選ばれた5組は、まずまず順当と思えた。ただ、ぼくが心底感動したのは、その選に漏れた残りの5組への対応だった。

イベント屋、という職業柄、ぼくも頻繁に、キャスト、司会者、アテンダント、モデル等のオーデションをする。で、いつもいつもつらく思うのは、決まった人はいいとして、その選に漏れた皆さんにスマナイということだ。

ゆえに、オーディションに参加する方には、できるだけそのイベントに関わる企業からノベルティや商品サンプルをお渡しいただくようお願いしたり、落選の理由を詳細に事務所に報告して次回に役立てていただいたりと、できるかぎりのことをしているつもりだ。

で、「めちゃイケ」の場合。惜しくも落選した残りの5組に対し全てに「めちゃイケ」に代わる別の仕事を紹介する、というサプライズを実施したのだ。番組としての構成があったとはいえ、オーディションする側としては絶対に一度はやってみたい対応。ぐっときたなあ・・・。

それも、タレントには別のテレビ局の仕事。芸人には「めちゃイケ」担当ディレクターの別の番組。地方から参加した挑戦者には地元のテレビ局の仕事。そして、就職活動中で全く内定がもらえない大学4年の挑戦者には、なんと就職先を見つけてきた。彼は、「めちゃイケ」を就活相手のひとつとみなし、めちゃイケ様と呼ぶなど、徹して就職マニュアルどおりの対応にて笑いを取った。もしかしたら彼のキャラクターから、落ちたファイナリスト皆に仕事を紹介しようとの案が出たのかもしれない。

オーディションを実施する者にとって理想的な結末。とてもうらやましく、自分にふがいなく、そして素直に感動的だった。