提言の記事 (1/2)

泰明小学校

泰明小学校の話題でもちきりだ(もう下火かな)。
泰明小学校といえば、「泰明庵」なる蕎麦屋の前にある学校、という程度の、
いつも通り飲食店と結びついた記憶しかなかったが、いうなれば銀座の真ん中に小学校がある、ということに歴史的価値と高級感を感じることは容易である。

制服(標準服?)がアルマーニらしい。
ぼくは今でも一番にオシャレな男だと尊敬する親友は、
大阪にまだアルマーニの直営ショップがなかった時代、一点モノを仕入れていたセレクトショップでバイトをしていて、
アルマーニというのは凄いカッコいいんだよとょく言っていた。

泰明小学校の校長も記者会見していて、内容は入ってこなかったけど、その堂々たる態度には、
ゆるぎない自信がすでにあるんだなあと感じた。つまり、外野が騒ごうと炎上しようと、
実際に購入する保護者への根回しは終わっている。顔にそう書いてあった。

当然騒がれること、ねたまれることも予想したであろう。
でも、校長にとって重要なのは、越境してまで泰明小学校に通わせようとする親たちだけであり、
この時代らしい、コミュニティの重要性と強固な関係を改めて知ることになった。
佐藤尚之さんが強く訴える新たな意味も、ここに具体化しているような気がする。

カッコ悪いありきたりの制服は着せたくない。
そんな制服を着て入学式の写真を撮るなど、もってのほかだ。
結婚式への列席など個人的な冠婚葬祭のときも、アルマーニを着せて連れていきたい。
改めて違う服を用立てるなら、8万円で揃うアルマーニは、安い以上に泰明小学校の生徒ではなくても欲しいのではないだろうか。

銀座の歴史あるテーラーこそふさわしいのではないか、という意見も多かった。
でも、それでは保護者にとって意味はないし賛同も得られなかったに違いない。
そして、シャネルやエルメスではなくてよかったと、個人的にも思う。
制服である。カバン屋ではだめなのだ。

アンチ箱根駅伝

2018年です。
あるメルマガに、2017年は「忖度」と「インスタ映え」が流行語の筆頭で、
いずれの言葉も、真実を隠して、モノやコトをよく見せたり、ゆがめたりする言葉だと書きました。
2017年は、そんな象徴的な年でしたね。
さて、今年は・・・。

年初、日本にいるほとんどすべての日本人が体験する箱根駅伝。
年を重ねるごとに、過剰なほどのブームとなってきました。
うだうだと酒やおせちを楽しみながら観るには、お笑い以上に、またお笑いは好きではない人々に支持され、
すでに他局は白旗。TBSとテレ朝は再放送番組という体たらくでした。

箱根駅伝は、関東大学駅伝という地方大会。つまり関東のみのローカル放送であるべきとぼくは考えています。
出雲駅伝のような学生駅伝の全国大会ならば素晴らしくて、きっとぼくも心から楽しめるかと。
でも、大阪で関東大学駅伝は観たくありません。
ここがそうだという固有名詞は上げにくいものの、上武大、中央学院大とか言われても、
大学の知名度を上げるために出場枠を確保しているとしか思えないんです。

こんなに小さい国土だからやむを得ないけど、マスコミは東京に集中して、
情報はすべて東京から発信されるのが日本。
自分が長らく住んで、ずっと東京のライバルだと自負していた大阪も、
すでに地方の一都市になりさがったかと、橋下氏の大阪都構想が住民投票で
敗れたときは感じました。
(ただ最近は、大阪らしい独自性を帰省のたびに感じるようになり、
それはまた別に書きます)

地方各所でニュースを見ていても、必ず関東の天気予報が流れる違和感は、
関東以外で長く住まないと分からない現実でしょう。
箱根駅伝って、そういった東京発信の最たるものと、ぼくは天邪鬼にも
感じています。

箱根駅伝を全国の大学選抜の大会にしようと関東以外の大学陸上関係者が
何度も動いたという話も聞きました。でも、関東の大学がその利権を守るために、
反対したとか。議員定数の削減に議員が反対する構図と似ています。
日本人らしいなあと。

もちろん、関東の大学出身であれは、楽しみにするのは当然で、
うちの妻も東京農大出身なので、今年は出場を逃しましたが箱根駅伝の常連。
いつも楽しみにしています。
ただ東京農大ぐらいになると、大学自体に強烈な個性があるので、
わざわざ正月から働かなくてもいいんでしょうけど。

なお、2024年の100回大会から、全国大会にしようという案があるらしい。
でも、関東以外の大学に、果たしてそこで勝てるメンバーがそろっているかどうか疑問ですが。

大相撲に思う。

相撲の業界、角界っていうのかな、大変なことになっている。
国会より、北朝鮮情勢やエジプトのテロより、一横綱の暴行事件が毎日トップニュース。つくづく日本は平和だと思う。

ところで。
相撲は国技で神事とか言われ、それが大前提ゆえ今の大騒ぎが生じる。
でもぼくは、大相撲って興行と位置づけるべきではないかと思うんです。
プロレスやプロボクシング、各種格闘技同様。
チャンピオンになれば、当然その上はなくて横綱と同じ条件。格闘家の暴力は凶器と見なされ処分も罪も大変に重い。普通の人より何倍も力があってさらに何倍も鍛えている人間が暴力をふるったら即刻罰せられ、資格が取り上げられて当然。何か意味が分からず揉めている国技より、興行の世界の方がよほど潔い。

外国人力士は、稼ぐために日本に来ているのだ。そんな面々に品格とか神事とか騒いでも、何言ってんだと心の中では思ってるに違いない。
実際、英語では力士のことをレスラーと言い、横綱はもちろんチャンピオンである。国技・神事と真剣に議論する日本人の姿は海外から見るとまさにガラパゴスなのかなと。

それよりも、いつもマイクを向けられて驚くのが、外国人力士の日本語力。2000年に来日して17年、「膿を出して」などと使えるものかなあと感心する。そこを解析すれば、新しい語学教育のヒントが見つかるかもしれない。

東京の地下鉄

東京で暮らして30年を迎えようとしているが、未だに東京の地下鉄(今はメトロというらしい)は、ややこしい。
というか、ぼくが東京に引っ越したころからの思い出話も少し書いておこう。ドア地蔵に続く鉄道ネタである。

平成とともに東京に来たぼくが、もっとも驚いた三点は、
未だまったく自動改札ではない
東京メトロ、当時の営団地下鉄車両に冷房が利いていない
(当時、高円寺に住んでいた友人は、冬は地下鉄、夏はJRで通ってたなあ)
車掌が「ドアを閉めます」とアナウンスすること、である。
あ、もう一つあった、というかこれは未だに西武線とかでは採用されているようだが、
こんど  つぎ  そのつぎ
これは不親切以上に、日本語としても変である。

東京が、そのころまったく自動改札化ができなかったのは、組合の力が強すぎたからだと誰かから聞いた記憶がある。
当時は分割民営化の直後で、ものすごい過渡期だった。
「渋谷に行けば、JRって外人の友達までいるんだぜ」というウッチャンナンチャンのネタも生まれた。
分割民営化に反対しつつもJRに残った人たちが、JRが運営する立ち食いソバ屋とかに異動になり、
国鉄ユニオンのバッチを付けて仕事をしていたことを覚えている。

さて、本題というか、東京の地下鉄について続けてみたい。
なによりネーミングが不適切だ。
銀座、丸の内、日比谷、千代田、有楽町。
これらって、すべて徒歩10分圏内。その違いも個性も見いだせない。
大阪から出張で来た友人が、有楽町から日比谷に行くのに地下鉄に乗ったという話を聞いたことがあるが、地下鉄の路線が違うとの認識で、そこそこ距離があると感じたのだろう。

世界的に見て、最近の地下鉄の路線名は、番号か始点・終点の名前になることが多いようだ。
例えば丸の内線なら、新宿・池袋線、銀座線なら渋谷・浅草線。でもこれでも、どこを通っているのかよく分からないよなあ。
その点、大阪は優れている。計画的というか、主軸交通網としての将来の発展を予想して考えられている。
多くは幹線道路の下を走っていて、幹線道路の名前が付いているのだ。御堂筋、堺筋、谷町筋、四ツ橋筋・・・。

その昔、御堂筋の延長線上、千里の地に大阪万博の会場を作り、御堂筋を延長して新御堂筋とした。
大阪では、千里の道も一歩から、ではなく、千里の道も新御堂から、という。

日本酒の末路

ぼくは自分の著書では、日本酒と書かずに清酒としている。
その意味も同時に著しているが、子供のころ日本酒が大好きだった祖父に、
「おじいちゃん、日本酒好きなんやなあ」といったところ、
「なにいうてるねん。これは日本酒とちごて酒や。なんで日本人のわしらが、自分たちの酒のことをわざわざ日本酒といわなあかんねん。外人でもsakeというやろ」と怒られたことに起因している。

そして今回は清酒の話である。
今ちょうど流れているJR東日本のCM(おや、またテレビの話のようだ)。
♪冬のごほうび~冬のごほうび・・・とかわいい歌が流れ、その後にナレーションが続く。
「東北は米がうまい。だから酒がうまい。来たれのんべい」
東北は米がうまい。そしてうまい酒もある。ただそこには何の関連性もない。
食べるブドウとワイン造りに使われるブドウが違うのと同様に、
酒造りに使われる米と、ぼくたちが普段食べる米は別の種類なのである。

酒造りに使われる米の最高峰は、兵庫県もしくは岡山県産と言われている。
東北の蔵は、農家と酒造りに適した米を地元で生産する努力をされ、そんな米を使って個性的な清酒を醸すことに成功しているが、ほとんどは食米とは別の種類。また、それぞれの蔵が自ら最上に位置付けている酒には、兵庫県産の米を使っている。
天下のJRが基本的に間違ったナレーションをしていること自体、母国の酒の成り立ちを軽視しているとしか思えず、またまたおじいちゃんに怒られそうである。

ただ、個人的にはもっと悲しいCMがこの冬に流れている。
それは月桂冠の糖質カットの酒である。
わざわざ米から糖質を作ってそれを発酵するという作業で清酒は作られるのに、その糖質をカットするという本末転倒ぶりに目を覆いたくなるが、それよりもっと救いようがないのは、糖質カット日本酒のCMだ。

そのCMで流れるナレーション。
「Smooth&Dry つまり淡麗辛口。」
悪夢だ。

清酒は淡麗辛口でなければならない、という歪んだ間違った概念が過去に出来上がり、新潟を中心に個性のない水みたいなシャバシャバ酒ばかりが売り出され、その結果清酒の発展が20年は遅れたと言われている。
やっと今、その矛盾や無意味さに気づいた若手の蔵人が、旨口ともカテゴライズされるそれぞれの蔵の個性を発揮できるテイストの酒を醸し始め、清酒の業界は活況を呈してきた。本当に喜ばしくて楽しみなことだ。
(といっても、今だ大手の酒蔵の売り上げがベースとなる統計ではトータルの売りは下がっていると聞く)

客は今でも、居酒屋で酒の好みを聞かれると「辛口がいいな」と普通にいう。
蕎麦に何の疑問も感じずに七味唐辛子を入れるのと同じ、反復動作としか思えない現象だ。
おいしくて特徴のある清酒を集めるようになった居酒屋のスタッフは全員、心の中で笑っている(実際に笑うやつもいる)。
最近は平気で、当店に辛口の日本酒はありません、と言ったりメニューに書いているところもある。
辛口とおっしゃいますが、具体的にどんな味でしょうかと質問するヤツもいる。もちろん実際に答えられる客はいない。たぶんぼくに聞かれても、答えられないだろうけど。

ビール業界はスーパードライという一つのブランドだけで、普通のビール以外に「辛口」という市場を作った。そこには極めてマーケティンク的にすぐれた仕掛けがあったからに他ならない。いっぽう清酒は、端麗辛口と縛ることによって、暗黒時代に突入した。月桂冠ほどの大手なら、そんな時代の記憶もあるだろうに・・・。