2010年03月15日の記事 (1/1)

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1970年3月14日

大阪で万国博覧会、通称大阪万博がスタートした日である。
それから40年たったんやなあ・・・。

当時小学生で、万博会場まで自転車で行ける距離に住んでいたぼくは、今でこそ言えるが、会場の柵をくぐれるヒミツのスポットが友達の間ですでに露見していて、ぼくは大阪万博にそれこそ十数回は無料で入れてもらった。

もう少し大人だったらもっと面白くタメになっただろうなと今にして思うけど、あの万国博覧会が大阪で開催されたことに今更ながら驚きと感動を覚えるし、それに向けて大阪の街がドラスティックに変わっていく様子は40年経っても記憶に鮮明だ。

ぼくは大阪万博で初めてハンバーガーを食べ、無修正動画を見て、コードレス電話をかけ、電気自動車に乗った。そして、三菱、三井、住友という巨大財閥の凄さを子供ながらに知った。

近年、携帯電話・ハイブリッドカーは当たり前だし、ハンバーカーチェーンが恐ろしいまでに普及、無修正動画も珍しくなくなった。ただそれはすべて大量の需要がベースにあるからで、描かれた未来を実現するためには、まず圧倒的な需要の存在がマストなんだと認識する。

またぼくは、世界各国の出展パビリオンに出向いてスタンプを集めるという子供らしい(笑)目標を持っていた。そんな思い出のノートも今どこにいってしまったのか・・・。ただその時初めて、ハイチやモーリシャスという小さな国があることを知り、民族衣装を着た黒人やヒスパニックの方とも握手をした。

そしてなにより、国には、企業には、「力の差が歴然とある」ことを知ったのだった。


ところで。
ぼくがフランス語圏に行くといつも通訳を頼んでいるパリ在住のパトリック君は、大阪万博のフランス館でコンパニオンをしていた阪急淡路にある鮨屋のお嬢さんが、来日中のフランス人と恋に落ち、彼女がフランスまで追いかけて結婚し生まれた二世である。まさに大阪万博の申し子ということか。

あと。
大阪のエスカレーターが左側を急ぐヒトのためにあけるという東京と真逆の習慣は、大阪万博で初めて導入された「動く歩道(これをなぜか、みんな「歩く歩道」と呼んでいたなあ)」のどちら側をあけるかを決める際、世界標準に習ったことにさかのぼるらしい。アジアもヨーロッパもアメリカも、ぼくが訪れた世界中のどの都市も、今でも大阪と同じである。
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