2015年06月01日の記事 (1/1)

サザンオールスターズという存在

ご縁があって、サザンオールスターズの東京ドームコンサートに行ってきた。
コンサート自体、思いっきり楽しめたけど、それ以上に、コンサートの予習として聴き込んだ、ツアーにも銘打たれている「葡萄」というニューアルバムが大変すばらしいものだった。

それは、桑田佳祐という人が放つ同時代性である。
誤解を恐れず言えば、「葡萄」というアルバムで歌われる内容は、
ほぼ「酔っ払う」「抱き合う」「平和を願う」の三点。
この三点が「2014年の50代後半のオトコ目線」という、限りなく狭い意識と視点で描かれているのだ。自分は桑田佳祐より少し若いが、それでもまさに、その狭い領域にストンと入る。それはもう、共感しまくりである。

ただ、それにもかかわらず会場は大半が女性。そして年齢もバラバラ。サザンファン歴20年ですぅといった、アラフォ―がコアのようにも見える。

ピンク映画 歌舞伎町とハシゴして とか、
この時代こそ「未来」と呼ぶのだろう 

みたいな表現が響く世代ではないと思う。
でもコンサートでは、彼女たちも情熱的に絶え間なくエールを送り続けている。
女性は50代後半のオトコと違い、音楽を点ではなく面や立体でとらえることができるのだろう。

話は変わるが、ぼくが生涯で初めて購入したCDは(LPではなく)、サザンオールスターズの「kamakura」である。1985年のことだ。
海を想起させる湘南バンドと位置付けられていた彼らが、当時のミュージックシーンを席巻していた電子楽器を駆使したファンクサウンドに挑戦した、という触れ込みで、自分が初めて鳴らすCDに選ぶにふさわしいと思ったからだ。

「葡萄」を何度も聴いているうち、そんなことを突然思い出し、拙宅に残っていないか探すももはや見つからない。Amazonで調べると2008年にリマスター盤が出ていることが分かり、瞬間「kamakura」を購入していた。
レコードに針を落とした瞬間のボッという音、そしてイントロが始まるまでにジリジリと鳴るノイズがなく突然始まるドラムに30年前嬉々としたことを思い出しながら。
そして、レッドツェッペリンやディープパープルのアルバムを改めてCDで買いなおしたときのような、そんな感覚で楽しんでいる。

愛情の程度まで デジタルのカウントで計られる
単調な画面には 呼びかけた表示が舞い踊る

そう、彼は1985年も、まさにその同時代を唄っていたのだった。

ポール・マッカートニーとかミック・ジャガーとか。桑田佳祐よりもはるかに年上の海外のアーチストが、今でも日本にやってきて、日本の市場で巨額の富を得ている。彼らのパワーには頭が下がるが、言うなれば「昔の名前で出ています」状態であり、イマを同時代の言葉で歌うというわけではない。

そんな意味で、世に登場して40年弱。デビューから昨年の「葡萄」まで、桑田佳祐は、サザンオールスターズは、常に時代と向き合い同時代を歌ってきた、世界にも類を見ないミュージシャンということになる。ある意味、日本の誇りであり日本の宝なのかもしれない。そして、10年後、20年後にまで期待を寄せることができる、唯一のアーチストでもある。