2017年02月27日の記事 (1/1)

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ローラという存在

テレビの話ばかり書いてるような気がするが・・・。
ローラというタレントがテレビに登場した最初、衝撃的だったなあ。
自分のことを、ローラですとか、ローラと申します、ではなく、
ローラだよ、というのである。しかも大物と称されるMCに向かって。

当初はMCもひな壇に並ぶタレントや芸人も相当驚いたであろう。
(その辺が予定調和だったのかどうかは、視聴者には知るすべもないが)

社会に出ると、出会った人とタメ語で話すにはとても勇気がいる。
同い年やその周辺の世代とは、タメ語で話すほうがコミュニケーションは深まるとぼくは考えるし、
年下ならさらにそうだが、やはりそれなりのけじめが必要だ。
今日からタメ語で話そうよと、何人かの友人に宣言をしたり、
同い年の仲間でグループを作って、タメ語で話すことを唯一の参加資格として決めたこともある。

ただ、ローラのおかげで世間は『慣れた』。
当初の強烈な違和感も、結局は慣れるものなのだ。
つくづく慣れって怖いなあ、というか、慣れさせることの重要性を改めて認識した。
ローラ以前と以降では、話し言葉に対する様相がすっかり塗り替えられてしまったようだ。
タメ語が、個性から日常になった。
ローラ以降のタレントはホントウに楽だったと想像する。

こうして敬語のよさ、ひいては日本流の礼儀が失われていくことに危惧する層も多いが、ぼくは最近、特に英語で話す機会が多くなるにつれ、あまりそう感じなくなった。

当然だが、20代の若者にも英語では、Hi Akira!と言われるわけで、自分が何歳だからとか、そんな気負いや面倒くさいことを考える間もなく、すーっとフランクな人間関係に入れる。かといって、英語圏の若者に礼節がないわけではなく、きちんと敬うべき部分については態度で表明してくる。
日本特有の敬語は、もはや振る舞いではなく処世術として使う時代が来たのかもしれない。

そうそう、ローラは父親が詐欺まがいのことをやったにもかかわらず、まったくお咎めがなくテレビに出続けている。
例えば親が生活保護を受けていて干された、次長課長の河本とかと比べても、あまりある厚遇だ。

そう、すでにローラは、日本のテレビ業界に、不可欠の絶対的な存在なのだろう。

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