2017年03月の記事 (1/1)

盛岡のこと

少なくとも、週に一度以上は文章のデッサンをしたいと思って再スタートしたものの、あっという間に数週間たってしまった。先週も先々週も週末は東京におらず、モバイル用として使っているパソコンには、ブログの設定もしていなかつた。

その間、先々週は盛岡だった。
盛岡は好きな街、なにより人がいい。
クラクションの鳴らない街と、盛岡の人は自ら言う。
ホテルのフロントに始まり、タクシーに乗っても、道を聞いても、飲食店でも・・・。
回りの他人に対する思いやりを人一倍感じる。
つまりクルマのクラクションがどんなに相手に不快なものか、という「思いやり」があるのだ。

夜の盛り場を一人で歩いてたら、酔っぱらった男女数人がいて、そのうち一人の女性が
お前なんか轢かれてしまえと、道路の真ん中に引っ張り出された。
あくまで酔ってふざけた行為であり、その道路も裏道でクルマが頻繁に走るような感じではない。
ところがたまたま、そこにタクシーが一台通りかかってしまった。
タクシーは女性の手前で止まり、女性が道路の端に移動するまでその場で静かに待っていた。
当然、クラクションは鳴らさない。
正直、信じられない光景だった。もちろんタクシーの行動が、である。

ぼくがイベントの仕事をしてきた中で、一番というぐらい大切で大好きな大手電機メーカーの元担当者と会った。
今は事情があって大会社を辞め、故郷の盛岡で暮らしている。
神戸の震災翌年、ぼくの父が他界し、多少仕事に影響するようなおヒマをいただき復帰した際、クライアントでは唯一その方だけがお香典をくださった。もう20年以上前だが、その恩義は今も忘れない。いや、一生忘れないよね。
さすが、盛岡民なんだ。

永く長くその方と話していて、いつしか震災のことになった。
岩手県は震災で多大な被害を受けたが、それは海岸沿いの町ばかり。
盛岡も激しく揺れライフラインは数日止まったそうだが、内陸部ゆえ陸前高田や大船渡のような津波の被害を受けたわけではなかった。もちろん死者や行方不明者も出なかった。ところが震災以降は違ったそうだ。
同じ県の中に、ものすごい被害を受けた町や人がいることを、盛岡市民は決して忘れなかった。

盛岡の人ってねえ、震災後、海岸の町の復興にすごく東奔西走したんだよ。それこそ命を縮めるぐらいね。ぼくの土建屋の同級生も、震災の翌日から一日も休まず働き、三年前に死んじゃったよ。次はぼくかもなあ・・・といった。

松木さん、また会いに行きます。