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丸大ホール

少し低調な気持ちで川崎にいた。
夜の7時半である。自宅近辺まで、この空腹と疲れを持ち越したくないので、川崎でメシ&酒と決める。決めるといっても選択肢はほぼ一つ。「丸大ホール」である。

この店、本当にすばらしい。京浜工業地帯という、むかし地理の時間に習った死語のような言葉がリアルに蘇る店舗。朝から晩まで、あらゆる時間帯で仕事をしているブルーカラーを対象に、空腹とストレスから解放してきたオアシス。
刺身、煮込み、フライ、鍋等々の酒場としてのメニューから、オムライス、チャーハン、ラーメン、うどん蕎麦みたいな純粋なメシまで、店内の壁中にメニューが貼られ、その姿は圧巻。
6名掛けテーブルしかないので相席が基本。最近はめっきりホワイトカラーも増えたが、にしても、酒場本来の喧騒とタバコの煙(苦手ではあるが)、気のいいおばちゃんの接客は、ゆるぎない特徴だ。

その日は斜め前に寡黙な男前(もちろんホワイトカラー)が一人。タバコをくゆらせながらスマホを操作していた。酒をあおるという気配はないが、肉野菜炒めに続いてオムライスを注文。「丸大ホール」においては、かなりの手練れと見た。

そこへ陽気な二人組がなだれ込んできた。一人は関西弁である。
早速眼前の男前に関西弁の方が話しかける。
「いやー、さっきも来たんやけど満席や、ゆうんで、他でちょっと飲んでて、でもこっちに来たかったんで、もっぺん来てみたんですわ」とファンぶりをアピール。男前は常連ぽく落ち着き静かな対応ながら、丸大ホール愛については自分が大先輩との自負もありありで、かなりのピッチで語り出す。

やがて関西弁が僕の方へと飛び火してくる。
「作家とか、そんな感じですよね」
「あ、いや」
「あー、やっぱりや。そうやと思たわ」

大いに盛り上がるまで、時間はかからなかった。
それこそ瞬間湯沸し器のように、みたいな使い古された言葉を用いたくなる、古風なまでの展開である。

酒場では、プライベートな詮索は厳禁とされる。
若いころ、酒場で隣り合った先輩と盛り上がり、氏素性を尋ねて叱咤された経験が何度もある。縁があれば、またこの店で会いましょうと優しく諭された思い出もある。本来なら、そんな一期一会の世界観が酒場なのだと解釈していた。

ところがこの日は違った。そのうちの一人が、ぼくの出ている番組を観てくださっていたことも要因の一つかもしれない。ブルーカラーのための酒場にホワイトカラーも集うようになったと冒頭に書いたが、お互いの氏素性を語らうと、ホワイトもホワイト、寡黙な男前は、世界を席巻する通販会社、そして陽気な二人組は、世界の味を塗り替えた調味料メーカーだった。

「丸大ホール」が閉店となると、誰からともなく二軒目に行きましょうとの声がかかり、その夜は、さらに深く、川崎の奥へと踏み込んで行ったのだった。