GWの東北

毎年、GWは東北を訪問している。
といっても、震災以降の話ではあるが。

7年前、東北の太平洋側全域に大きな震災があり、自分に何ができるかを誰もが考えた。
すでにボランティアをするほどの体力はなく、寄付してもたかがしれているし、どこに使われているのかも分からない。ならば自分の本分でもある食べることを自然体でやろうと思った。
助け合いとの名のもと結局は大変な苦労をしょいこんでいる畏友もおり、ごくごくシンプルながら続けられることが、やはり基本だ。

現地に行って、現地の方々と話す。もちろん毎年うまいものを食べに来ているんですと単純に言い続ける。
震災後すぐは、そんな人たちも大勢いたに違いないし、それから何年も続いていたとも思う。
毎年来てるんですよと言うと東北の皆さんから感謝の言葉をいただくが、そのお気持ちは、彼ら彼女らが下げる頭の角度が年々深くなっているような気がして、逆に今年も来てよかったと安堵する。

現地は少しずつではあるが、更地だった場所の上に、新しい家、新しい商業施設が出来上がっている。みんなピカピカで人間味がなく、CGの中を車で走っているような感覚に陥る。何か、街として今も将来もワクワクするような、総合的な景観づくりが図れなかったのか。特に、コンビニ、薬局、携帯キャリアなどのショップは無機質極まりなく、それこそ低予算映画のセットのようだ。ここで買い物をしたいという気持ちには、ならないなあ・・・。

いっぽう、女川や南三陸や陸前高田の海岸沿いは、数年前とは盛り土の高さが変わっただけ。というか、海っぺりで育った人たちの多くは丘に居を移し、すでに海岸沿いは暮らす場所ではなくなったというのか。それぞれの自治体の思惑の結果が、このボウハテイ、なのだろうか。
さらに毎年当時のままなのは、大川小学校跡。裁判係争中で触れられない部分もあるとは思うが。

石巻や気仙沼のような少し大きな町は、海岸沿いに真新しい倉庫や水産加工場ばかりが立ち並び、道路だけがやたらとキレイに整備されている。こちらは、設計事務所がプレゼン用に造る建築模型のようだ。そこには「営み」や『息吹き」は見つからない。

毎年のことだけど、東北の海岸を北上すると、それなりに普段とは違う疲労感に気づく。
それもあってか、復路は山形県との県境辺りまで入って山側を下り、温泉地に逗留するのが楽しみ。
今年は「肘折温泉」へ。肘折とは、言葉のごとく肘を折った人がここの温泉につかって治ったという言い伝えからきたらしい。まさに湯治場だ。
例年に比して、相当暖かかった2018年ですら、まだ雪が残り通行止めの道もある奥地。
いやー、いいとこでした。