シャトー・マルゴーの社長

シャトー・マルゴーとトリュフの夕べ、とかいうタイトルの食事会に出向いた。
当日はシャトー・マルゴーの社長である醸造家のポール・ポンタリエ氏が同席して、なんだかんだと解説がつく。

もともとシャトー・マルゴーは、30年ほど前にギリシャ人のスーパーチェーンオーナーが買収し復興させたことで有名だが、その一躍を担ったのが社長のポンタリエ氏で、1977年以来ずっとシャトー・マルゴーを毎年飲んでいる(いいなあ・・・)。

その中で、ナルホドと思った話を二つほど。

当然ながら、現在のシャトー・マルゴーが富も称号も兼ね備えた銘醸ワインであることは、一同重々承知。そして社長のポンタリエ氏は、オーナー○○家ではなく醸造と経営を任された勤め人である。日本のこんな感じの社長なら、まずは自分がどのようなコンセプトでワインを作るかとか、なぜ改革に成功したのか、について朗々としゃべりだす。にもかかわらす、彼が語るのは、まず歴史ありき。

シャトー・マルゴーはどんなに昔からあるか、そして皆の知らないどんなに前から白ワインも作っていたか(当日は「パピヨンブラン」も登場)、実はセカンドの「パピヨンルージュ」も相当以前から発売していた等など、自分たちのワインにどれだけ歴史があるか、を正確な年号を交えて語る語る。

確かに感銘した。
イマの名声と彼の時代を話せば十分に事足りるし、大衆の興味はどちらかと言うとそこにあるはず。でもポンタリエ氏は、彼の力で折れかかっていたシャトー・マルゴーを蘇らせたといわれるにもかかわらず、自分の時代、イマの名声にはほとんど触れることなく、歴史・歴史を繰り返した。

同じく長く輝かしい歴史をもつ自分の国や自国の文化に対して、自分たちはどれだけ表現できているだろうか。長い歴史と経験の中から次の発想を生み出すのではなく、イマの情報過多な世間にばかり目をやってそこを基点にしか考えられない、例えば大手の日本の酒造メーカーと比較しても、圧倒的な差だ。日本がフランスにかなうはずがない。

歴史とは与えられた価値であり、求めても得ることはできまい。そんな価値が回りに無償であるのだ。
与えられた価値をそのまま伝えずにどーするんや、と自分にも投影して深くうなずいてしまった。


もう一点。こちらはもしかしたらある程度予習をされてきたかもしれないが、今回いただいた生産年、07年、00年、89年、85年の、それぞれの春から収穫時期に至る気候を完璧に覚えていて、全く淀みなく語られること。これは仕事としてはある程度当然なのかもしれないが、年号とその年の気候がぴったり結びついているのが、毎年毎年個性を出すことを要求されるグランヴァンの醸造家ならではだなあと、感心。お天気お兄さんですら、ここまでの職業意識には持たないに違いないし。