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外食の記事 (2/4)

どうした「喜楽」

渋谷の道玄坂に「喜楽」というラーメン店があって、ぼくが東京に越してきた20年以上も前から同じ場所でずっと営業をしている。ぼくが東京初心者のころ、当時は数少なかったガイドブックで「喜楽」を知り、通うようになった。

現在は改装してしまってその面影は残らないが、行き始めたころは、麺を茹でる大きな鍋をまあるく囲むようにカウンター席があり、ひげの大将による、麺の鍋への投入から中華麺完成までのパフォーマンスも一見の価値があった。
その後、どういう経緯か突然店舗を改装して二階建てにし、一階が厨房と小さなカウンター。二階がテーブル席の、いわゆる普通の中華料理屋風になり、以前のダイナミックなひげの大将の動きもなりを潜め、味も落ちたと世間からは言われた。

でも、深みのある澄んだスープと弾力はあるのに腰は柔らかい平打ちの麺、そして当時はゴミラーメンとも呼ばれた、ゴミのように浮いている焦がしネギ(表現は悪いが、実はこれが「喜楽」ラーメンの最大の特徴であり、うまさを際立たせる役割を担っていた)。その三種が独特のシンプルな個性と完成度を生み出し、味の足し算掛け算が全盛の今のラーメン界においては逆に新鮮。味が落ちたとしても変わらぬベストなラーメンと、個人的には思っていた。

さて、先日夜。めずらしく渋谷で一人になったので、思い立って「喜楽」へと足を運んだ。少し小さくなったようにも感じるがひげの大将は健在。いつものように中華麺をオーダー。一口食べて、ん。麺が違う。上述したように、麺・スープ・焦がしネギが「喜楽」の基本中の基本。その麺が平麺からふつうの丸い麺になっている。しかも最近の流行なのか固めに茹ですぎてボソボソ感ばかりが口に残る。えらいこっちゃ。「喜楽」の麺が変わってしまった。スープをも巧みに吸い込んだ独特の平打ち麺はどこにいったのだ・・・。

あわててその場で、ラーメンならこの人、大崎裕史大兄にメール。いつもならすぐに返信をくださる大崎大兄だが、半日ほど返信がなかった、と思えば、すぐに翌日の昼に大崎さんも「喜楽」へと向かったらしく(さすが早い)、店を出た後、確かに変わりましたね・・・とメールをくれた。

さらに大崎さんは一歩踏み込んで、お店の方に「麺が変わりましたね」と質問をしたそうだが、店側は「20年前に変えて以来、変えてない」との回答。すくなくとも平たい麺が丸い麺に変われば間違いようがない。もしくは震災の影響等で仕入れが変わったのか・・・。

いずれにしても、20年以上同じスタイルで作り続けてきた「喜楽」の麺が変わったというのは、個人的には一大事。心の拠り所の一端が崩れたような気がして、店舗改装時と同じぐらいの寂しさにうちひしがれている。




イチローと斉須政雄シェフ

イチローが10年連続200本安打という偉業を達成して、先週末のニュースバラエティでは各局で特集を組んでいた。

多くの人が語るイチローの凄さとは、毎日のルーティンを絶対に変えないこと。同じ時間に起きて、同じ時間にカレーライスを食べ、同じ時間からストレッチや素振りを始める・・・。
それを10年以上も続けるのは、とてつもなく大変なことで、その努力こそが今日の結果を生んでいる。

そんなイチロールーティンの凄さをテレビで確認しながら、ぼくはあることを思い出していた。

もう10年以上も前になるだろうか。ぼくは三田にあるフランス料理店「コート・ドール」のオーナーシェフ斉須政雄ご夫妻と新潟で食事をするという機会にめぐまれたことがあった。「コート・ドール」のソワニエである新潟在住の友人が、斉須夫妻を地元のレストランに招待し、その席にぼくも呼んでいただいたのだった。

斉須さんは、当時からもちろん日本を代表するフランス料理の料理人だったが、著書や料理からにじみ出る実直そのもののお人柄。また、シェフ自ら頭が上がらないと語る奥様は、明るく快活な女性で、ずっとそんなシェフを支えてこられたんだなあと、眩しく感じていた。

その時どんなものを食べたのか、すでにほとんど記憶にはないが、地元レストランの店主が、「本日召し上がっていただく新潟の小鴨です」と、まだ羽がむしられる前の小鴨をテーブルまで持ってきたとき、斉須シェフはそれを両手に載せ、優しいまなざしで、しばらくじっとその小鴨を見つめておられた表情が印象的だった。

そして、その時どんなお話をしたのか。それも記憶が定かではないが、ひとつだけ今でも鮮明に覚えていることがある。

ぼくはね、同じ時間に起きて、同じ路を通って店に行き、いつも同じ手順で準備を始める。そうやって常に自分の毎日の流れを崩さないように邪念が入らないようにし、調理にのみ集中できる環境を作るんだ。だからぼくは、マスコミの取材も受けないしテレビにも出ない。そういったイレギュラーなことが入ると、心が乱れて調理に影響するような気がするからね。

ずっと最高レベルの料理を作り続けるため、自分のルーティンを変えない。まさに10年連続200本安打のイチローと重なりあった。

今でも斉須政雄さんがそのような生活を続けておられるのかどうか、それは確信がない。ただ、「コート・ドール」というレストランが普遍的に輝いていることを想えば、きっと今でもルーティンを変えることなく料理に対峙されていることだろう。
加えて、斉須政雄シェフがイチローよりもっとすごいのは、イチローの場合、ルーティンを守るのはシーズン中だけである。いっぽう斉須政雄シェフはずっと毎日なのである。

そういえばバブル絶頂期、東京中のすべてのレストランがクリスマスイブの夜を2回転、3回転させていたにもかかわらず、「コート・ドール」だけは、頑なに一日一回転の客しか取っていなかったことを思い出した。

大阪のラーメン

昨日、MSNポータルサイトのトピックスに、「なぜ、大阪にはラーメン文化が根付かないのか」という記事があった。電話帳に登録されているラーメン店を調べると、大阪は人口1万人あたり1.2店で全国最低らしい。ちなみに東京は3.1店とのこと。大阪で長く暮らしたことのある自分にとって、確かにこの数字は納得。東京に出てきたとき、東京ってラーメン屋多いなあと、しみじみ思ったものだ。

この記事では、その原因がなぜだかよく分からないとしつつも、後半にソコを紐解く面々も登場。そして、大阪独自のラーメンを作るために立ち上がろう・・・で締め括られている。ところが、個人的には「?」でいっぱいだった。

まず、大阪にラーメン店が少ないのは、大阪人の気質だとか抽象的なことを引き出さなくても住んだことのある人なら容易に想像がつく。

1.大阪には、ラーメン以外に美味しいB級グルメがたくさんあるから。
2.大阪人は、並ぶのがキライだから。
3.大阪の舌には、ラーメンは塩辛すぎるから。 だろう。

東京にも美味しいB級グルメはあるけど、お好み焼き、串カツなど豊富さでは大阪に軍配。ただ、東京でのラーメンのウマさや多種多様さは群を抜く。また東京には、きちんと並ぶという文化(笑)がある。逆に大阪人は「並ぶ」辛気臭さかキライゆえ、行列ができるラーメン店の隣に新たにラーメン店を作るといったタブーも多い。ラーメン食べたくて来たけど並びたくはない客によって、隣もそこそこ流行る定説もある(最近は違うようだが)。

いっぽう大阪に独自のラーメン文化がないかといえば、渋谷や新宿にも進出した「神座」は大阪発ではないのか。「揚子江ラーメン」はどう?。いずれも塩辛さを抑えたスープが個性だ。しかも、大阪のラーメン店には、博多ラーメンの紅生姜のように、ニラやキムチを後から足して入れるパターンが多い。それも、自分で辛さ加減を調節できるゆえの知恵かと(これこそ文化ではないかと)思うのだ。

「ラーメンというカテゴリでもキチンと独自性を出しているのが、小麦粉文化の大阪や」と誇ってほしいよなあ。

そして、大阪繁華街のどこにでもあり、まるでインスタントかと思えるテイストの「古潭」もまた、チキンラーメン発祥の地大阪の文化かと。といってもこの「古潭」は東京に進出して、あっけなく撤退したとの記憶はあるが(汗。

40年変わらない大阪鮨

先週は、ほぼ1週間大阪に滞在した。もともと生まれ故郷ではあるけど、平成に替わるあたりから完全に離れているので、すでに20年を越えた。毎日、朝から晩まで大阪弁に囲まれて生活をするのは、ぼくには非日常。特に女性の大阪弁に、トキメキつつ違和感もあったかな。

原則イベント会場近くのホテルにカンヅメだったが、少し時間を見つけ大阪梅田駅周辺に出てみた。というのも、時間が許せば、25年ぶりぐらいになる小さな鮨店を訪ねてみようかと思ったのである。その鮨店は、大阪キタと呼ばれる梅田周辺では、現在もそこそこ評価されている様子。投票形式のランキングサイトでもかなり上位につけている。

オープンして40年。まだ阪急梅田駅が阪急百貨店の横にあったころからその地で営業している。その後阪急梅田駅は大改装。ずっと十三寄りに大きなターミナルを作り、従来の引き込み線の部分はコンコースとなった。そこは、映画「ブラックレイン」で松田優作がバイクに乗って走ったシーンが強烈だ。

その鮨店は、もの凄く狭く小さい。築地場内にも狭い鮨店は多々あるけど比較にならないぐらい狭い。コの字カウンターにぎりぎり10席程度で、客の後ろはほとんど全て引き戸。座った人の後ろを通れるスペースはないので、客は思い思いに引き戸を開け目の前が空いていればラッキーといった具合。

ぼくが到着すると、今まさに入らんとするミドルエイジのカップルがいて、あ、これはむりかなーと危惧しながらも、彼らとは反対側の戸を引いた。するとぼくの目の前以外はすでに埋まっていたが、なんとか席を確保することができた。

以前から25年は経っているので、狭いことを除くと全く記憶にない。ただ、間違いなく目の前に立つご夫妻は白髪ではなかった(当たり前か)。そして今ほど丸くもなかったような気がする。そう、ふくゆかでほんわかとした似た感じのお2人が、板場で丁々発止の夫婦漫才を繰り広げている様は不変のよう。

いやー、ちっとも変わっていない。来てよかった。もちろん鮨の味は全く覚えいてないが、お好みでと告げ何品かお願いした。

醤油・小皿等がカウンターに見当たらない(ま、置く場所もないほど狭い)と思っていたら、ツメをつけて出された。合理的だし本格的。おおっと瞬時は期待するが・・・。

ううむ。コレが40年変わらない大阪のにぎりなのか・・・。懐かしさよりも前に悲惨な気持ちになってしまった。極論づければ、目の前のコレはぼくの知る鮨ではない。昆布と酢で味をつけたご飯に分厚く切った刺身を載せたモノ、でしかない。

ぼくが東京に出て初めてプロデュースした東京ガスの仕事で、東京ガス本社にお礼に訪れた帰り、映像の監督に連れられて行った浜松町の某店。そこで、過去に自分が見知っているものとは全く異質の「鮨」を初体験。多くの人が言う、うどんのつゆの違いなど比べものにならないぐらいの「大阪との違い」に衝撃を受けた。同じ日本に住んでいてコレだけ違うものを食べているのか。自分はいかに鮨を知らなかったか。

その後の20年にわたる鮨行脚も、ここがキッカケで、このときがスタートである。
その20年をググッと振り返りながら、頼んだ三種類のにぎりを食べ終え、それ以上はもう食べることができず、電話で急に呼び出されたと断りを入れて支払いをした。

さて、江戸前のにぎりは、関東大震災で店舗が倒壊し職場を失った鮨職人が、仕事を求めて散らばり全国に広まったと聞く。それぞれが地の魚を使って、その地の舌に合うような味付けするなど、徐々にアレンジを加えていった結果が今の形なんだろう。

でも、ぼくの住んでいた時代、大阪は完全に東京をライバルだと思っていたし、東京とは違う文化が尊ばれた。その後大阪の全てが東京化していく悲しい状況を帰阪するたび目の当たりにし、すでに大阪は、地方の政令指定都市のひとつでしかなくなった。であれは、この梅田の鮨店は逆に変わらない大阪の象徴なのかもしれない。

あまりの味の違いにショックで飛び出してしまったけど、次回はもう少しじっくりと向き合って、大阪人のスピリッツを探してみたい気持ちが今は強い。


食堂 長野屋

一昨日の昼間、来週のイベントで使う音素材を探しに、新宿のタワーレコードに出向いた。

音を探すのは、中身が確認できないこともあって本を探すより以上に骨の折れる仕事で、ぼくは必ずといっていいほど毎度新宿のタワーレコードにしか行かない。
その理由として、まずタワーレコードのスタッフがとってもすばらしい。彼ら彼女らの髪の色や化粧や服装では、自分の方から仕事は選べない個性派なわけだけど、すべてのスタッフがハキハキ・テキパキとして愛想がよく、音楽に対する知識やモチベーションも高い。

そしてCDショップは本以上に店ごとのレイアウトやミュージシャンのカテゴリが微妙に違うので、できるだけ記憶の残像にある店で効率よく探したいと考える。
我が家のターンテーブルに頻繁に載っかるミュージシャンとして、アコギ(アコースティクギター)の名プレーヤー達、例えば「山弦」「中川イサト」「押尾コータロー」の三者。ぼくの中では全て同じカテゴリなんだけど、CDショップに行くと、ジャズ、J-pop、ニューエイジと分かれていて、それぞれに行き着くまで苦労した記憶がある。

新宿には昼過ぎに着いたので、satono.comの「さなメモ」にも登場する妙齢の女医さんに教えてもらったトンカツの店を目指した。この妙齢女医さん、フランスにも留学の経験があり、ぼくを含め食べ歩きの猛者がすっかり恐れをなすほど料理や料理店に詳しい上、なぜかB級グルメネタも多くお持ちなのだ(いつ行っておられるのか、想像がつかない!)。

なことで、そのトンカツ屋の前まで来たら、火曜日と水曜日が休みとの張り紙。新宿のド真ん中で平日に2日休むとはすごいなあ・・・と、再訪を誓いつつも昼メシ難民となってしまった。

そこで、ずっと以前から謎の店で、一度入ってみようと思いつつかなわないでいる「食堂 長野屋」を思い出した。ここは、JR新宿駅南口をタワーレコードのあるビル側に出て、目の前の階段を下った正面右側、信じられないほど好立地にある一膳飯屋。なんと大正時代から同じ場所にあるらしい。

その歴史たるやすごいんだけど、時代に取り残された場末感漂う店で、風格はない。しかも定食類は軒並み1000円と、男一人の昼飯にしては高額なのだ。回りには格安の立ち食い系やチェーン居酒屋が営むランチサービスも豊富にあるわけで、今までこの価格でやってこられたことはすばらしいが、そんな意味でも謎は深まるばかり(夜の状況が分からないので、夜は手ごろな一杯飲み屋となっているのかもしれないけど)。リース物件ではなく持ち家なので、客が入らなくてもやっていけるのかなあとか、いろいろと考えつつも、ついに突入した。

店内はテーブルが7~8卓ほど。2階もあるようだ。十数年やってます、てな感じのオバサンがサービスを、数十年銭勘定で生きてきました、みたいなおばあさんが食券を売る。12時過ぎというコアな時間なのに、客は各テーブルにオッサンが一人ずつ。まるで昼時の活気はなく手持ち無沙汰そうにテレビを見ている。テーブルが一卓だけ空いていて、「あ、相席させられずにスンだよ」と安心しながら座る。

そして唐揚げ定食を注文し、やっと落ち着いて回りのオッサンを見てみると・・・。

なるほど、分かりました。ほとんどのオッサンが背広にネクタイ、そしてほとんど全てビールを飲んでいる。中にはお銚子が転がっているテーブルもある。
つまりこの店は、悪びれずに昼から酒を飲むことが、暗黙に許されているのだ。場外馬券売り場の近くというのも一つのきっかけかもしれない。でも、平日はあまり関係ないし、そもそも馬券を買いに来ているでも夜勤明けでもない、ふつーのサラリーマン。

定食はちょっと高いし古くて入りにくいこの定食屋なら、まさか同僚や上司に会うこともないだろう。昼から酒を飲みたくなるのはアル中の始まりではあるけど、そんなオッサンたちの秘密のスポット。こんなにJR新宿駅とは目と鼻の先にあるのに、盲点を突いたというか、いわゆる隠れ家なのだ。なんとなくつられて、ぼくも「ビール」と頼みそうになる。

ところで。
こんな感じで酒のアテとなっている定食ゆえ、もっともっと味の濃い唐揚げを想像していたが、意外にも薄味でジューシーな本格派。ぼく自身の酒を飲みたいという欲求は引っ込んでしまった。