外食の記事 (2/4)

40年変わらない大阪鮨

先週は、ほぼ1週間大阪に滞在した。もともと生まれ故郷ではあるけど、平成に替わるあたりから完全に離れているので、すでに20年を越えた。毎日、朝から晩まで大阪弁に囲まれて生活をするのは、ぼくには非日常。特に女性の大阪弁に、トキメキつつ違和感もあったかな。

原則イベント会場近くのホテルにカンヅメだったが、少し時間を見つけ大阪梅田駅周辺に出てみた。というのも、時間が許せば、25年ぶりぐらいになる小さな鮨店を訪ねてみようかと思ったのである。その鮨店は、大阪キタと呼ばれる梅田周辺では、現在もそこそこ評価されている様子。投票形式のランキングサイトでもかなり上位につけている。

オープンして40年。まだ阪急梅田駅が阪急百貨店の横にあったころからその地で営業している。その後阪急梅田駅は大改装。ずっと十三寄りに大きなターミナルを作り、従来の引き込み線の部分はコンコースとなった。そこは、映画「ブラックレイン」で松田優作がバイクに乗って走ったシーンが強烈だ。

その鮨店は、もの凄く狭く小さい。築地場内にも狭い鮨店は多々あるけど比較にならないぐらい狭い。コの字カウンターにぎりぎり10席程度で、客の後ろはほとんど全て引き戸。座った人の後ろを通れるスペースはないので、客は思い思いに引き戸を開け目の前が空いていればラッキーといった具合。

ぼくが到着すると、今まさに入らんとするミドルエイジのカップルがいて、あ、これはむりかなーと危惧しながらも、彼らとは反対側の戸を引いた。するとぼくの目の前以外はすでに埋まっていたが、なんとか席を確保することができた。

以前から25年は経っているので、狭いことを除くと全く記憶にない。ただ、間違いなく目の前に立つご夫妻は白髪ではなかった(当たり前か)。そして今ほど丸くもなかったような気がする。そう、ふくゆかでほんわかとした似た感じのお2人が、板場で丁々発止の夫婦漫才を繰り広げている様は不変のよう。

いやー、ちっとも変わっていない。来てよかった。もちろん鮨の味は全く覚えいてないが、お好みでと告げ何品かお願いした。

醤油・小皿等がカウンターに見当たらない(ま、置く場所もないほど狭い)と思っていたら、ツメをつけて出された。合理的だし本格的。おおっと瞬時は期待するが・・・。

ううむ。コレが40年変わらない大阪のにぎりなのか・・・。懐かしさよりも前に悲惨な気持ちになってしまった。極論づければ、目の前のコレはぼくの知る鮨ではない。昆布と酢で味をつけたご飯に分厚く切った刺身を載せたモノ、でしかない。

ぼくが東京に出て初めてプロデュースした東京ガスの仕事で、東京ガス本社にお礼に訪れた帰り、映像の監督に連れられて行った浜松町の某店。そこで、過去に自分が見知っているものとは全く異質の「鮨」を初体験。多くの人が言う、うどんのつゆの違いなど比べものにならないぐらいの「大阪との違い」に衝撃を受けた。同じ日本に住んでいてコレだけ違うものを食べているのか。自分はいかに鮨を知らなかったか。

その後の20年にわたる鮨行脚も、ここがキッカケで、このときがスタートである。
その20年をググッと振り返りながら、頼んだ三種類のにぎりを食べ終え、それ以上はもう食べることができず、電話で急に呼び出されたと断りを入れて支払いをした。

さて、江戸前のにぎりは、関東大震災で店舗が倒壊し職場を失った鮨職人が、仕事を求めて散らばり全国に広まったと聞く。それぞれが地の魚を使って、その地の舌に合うような味付けするなど、徐々にアレンジを加えていった結果が今の形なんだろう。

でも、ぼくの住んでいた時代、大阪は完全に東京をライバルだと思っていたし、東京とは違う文化が尊ばれた。その後大阪の全てが東京化していく悲しい状況を帰阪するたび目の当たりにし、すでに大阪は、地方の政令指定都市のひとつでしかなくなった。であれは、この梅田の鮨店は逆に変わらない大阪の象徴なのかもしれない。

あまりの味の違いにショックで飛び出してしまったけど、次回はもう少しじっくりと向き合って、大阪人のスピリッツを探してみたい気持ちが今は強い。


食堂 長野屋

一昨日の昼間、来週のイベントで使う音素材を探しに、新宿のタワーレコードに出向いた。

音を探すのは、中身が確認できないこともあって本を探すより以上に骨の折れる仕事で、ぼくは必ずといっていいほど毎度新宿のタワーレコードにしか行かない。
その理由として、まずタワーレコードのスタッフがとってもすばらしい。彼ら彼女らの髪の色や化粧や服装では、自分の方から仕事は選べない個性派なわけだけど、すべてのスタッフがハキハキ・テキパキとして愛想がよく、音楽に対する知識やモチベーションも高い。

そしてCDショップは本以上に店ごとのレイアウトやミュージシャンのカテゴリが微妙に違うので、できるだけ記憶の残像にある店で効率よく探したいと考える。
我が家のターンテーブルに頻繁に載っかるミュージシャンとして、アコギ(アコースティクギター)の名プレーヤー達、例えば「山弦」「中川イサト」「押尾コータロー」の三者。ぼくの中では全て同じカテゴリなんだけど、CDショップに行くと、ジャズ、J-pop、ニューエイジと分かれていて、それぞれに行き着くまで苦労した記憶がある。

新宿には昼過ぎに着いたので、satono.comの「さなメモ」にも登場する妙齢の女医さんに教えてもらったトンカツの店を目指した。この妙齢女医さん、フランスにも留学の経験があり、ぼくを含め食べ歩きの猛者がすっかり恐れをなすほど料理や料理店に詳しい上、なぜかB級グルメネタも多くお持ちなのだ(いつ行っておられるのか、想像がつかない!)。

なことで、そのトンカツ屋の前まで来たら、火曜日と水曜日が休みとの張り紙。新宿のド真ん中で平日に2日休むとはすごいなあ・・・と、再訪を誓いつつも昼メシ難民となってしまった。

そこで、ずっと以前から謎の店で、一度入ってみようと思いつつかなわないでいる「食堂 長野屋」を思い出した。ここは、JR新宿駅南口をタワーレコードのあるビル側に出て、目の前の階段を下った正面右側、信じられないほど好立地にある一膳飯屋。なんと大正時代から同じ場所にあるらしい。

その歴史たるやすごいんだけど、時代に取り残された場末感漂う店で、風格はない。しかも定食類は軒並み1000円と、男一人の昼飯にしては高額なのだ。回りには格安の立ち食い系やチェーン居酒屋が営むランチサービスも豊富にあるわけで、今までこの価格でやってこられたことはすばらしいが、そんな意味でも謎は深まるばかり(夜の状況が分からないので、夜は手ごろな一杯飲み屋となっているのかもしれないけど)。リース物件ではなく持ち家なので、客が入らなくてもやっていけるのかなあとか、いろいろと考えつつも、ついに突入した。

店内はテーブルが7~8卓ほど。2階もあるようだ。十数年やってます、てな感じのオバサンがサービスを、数十年銭勘定で生きてきました、みたいなおばあさんが食券を売る。12時過ぎというコアな時間なのに、客は各テーブルにオッサンが一人ずつ。まるで昼時の活気はなく手持ち無沙汰そうにテレビを見ている。テーブルが一卓だけ空いていて、「あ、相席させられずにスンだよ」と安心しながら座る。

そして唐揚げ定食を注文し、やっと落ち着いて回りのオッサンを見てみると・・・。

なるほど、分かりました。ほとんどのオッサンが背広にネクタイ、そしてほとんど全てビールを飲んでいる。中にはお銚子が転がっているテーブルもある。
つまりこの店は、悪びれずに昼から酒を飲むことが、暗黙に許されているのだ。場外馬券売り場の近くというのも一つのきっかけかもしれない。でも、平日はあまり関係ないし、そもそも馬券を買いに来ているでも夜勤明けでもない、ふつーのサラリーマン。

定食はちょっと高いし古くて入りにくいこの定食屋なら、まさか同僚や上司に会うこともないだろう。昼から酒を飲みたくなるのはアル中の始まりではあるけど、そんなオッサンたちの秘密のスポット。こんなにJR新宿駅とは目と鼻の先にあるのに、盲点を突いたというか、いわゆる隠れ家なのだ。なんとなくつられて、ぼくも「ビール」と頼みそうになる。

ところで。
こんな感じで酒のアテとなっている定食ゆえ、もっともっと味の濃い唐揚げを想像していたが、意外にも薄味でジューシーな本格派。ぼく自身の酒を飲みたいという欲求は引っ込んでしまった。

となりの客

少し前の話だが、京都の知る人ぞ知る系日本料理店のカウンターに座った時のこと。
ぼくはその店は初めてで、緊張しつつも笑顔の素敵な着物女性に癒され大将の包丁に見とれ静かに食事をしていた。と、しばらくしてお一人様の男性客が入店。ぼくの横に案内される。その日は普段よりも余計に客を入れたのか(というかその一人客のために席を一つ増やしたのか)、カウンターはツメツメで横のおっさんの体の一部が常にぼくに当たっているという、なんともむず痒い不快感(ま、お互い様かとも思うけど)。

ただ、そのおっさんは店には相当なじみのようで、店主をご主人とか大将ではなく名字で呼び、若いスタッフにも「おぅ」みたいな馴れ馴れしい挨拶を交わす。そして席に着くと同時に「今日は琵琶湖からもろこが入りましたよ」と大将から声がかかり「おっ、わざわざ新幹線で来たかいがあったねえ」とおっさんも満面の笑顔だ。おっさんは、幾らのコースを食べているのか不明だが(知りたかったな)、当然ながら、ぼくを含めた他の客とは全く違う料理が出る。何度か同じような風体の皿もあるものの、微妙に高級食材やオリジナルの調味料等をトッピングして特別感を出している。

おっさんは「今月はぎりぎりもろこに間に合ったか。じゃ、来月は筍、そして稚鮎、次に鱧か・・・。楽しみだねえ」と、いかにも旬の日本料理を知っている通ぶり。大将も「東京はねえ、客も店もせっかちなのか、どんどん旬を早めちゃうんだよね。それじゃ季節なんてあらしまへん」などと応える。さらに「先日東京のお客に、ウマイ鮨屋があるっていうんで連れられたんですが、そこがイマイチ。店の名前は言えませんけどね(話の前後から「海味」かと想定)。いちいち鮨を出すたびに、どこどこ産のなんとかって大声で説明する。だいたい最近の客は例えば大間のマグロとか言っても、高く売れるからそこに集められているだけなのは知ってますよね。そんな説明するヒマがあるんやったら、もうチョット値段を安くせえって(笑」。と、常連おっさんも東京の客ではないのか、東京をボロカスに言っている(ちなみに京都の店を予約する際は、ぼくは意識的に実家の大阪の電話番号を言うことが多い)。

ところで、もっと悲しいのはぼくのとなりの客。
まず箸の持ち方がヒドすぎる。最初指に障害のある方かと思ったぐらいだ。そして、ずるずるとお椀をすする。肩肘をついてお造りをなめるように口に運ぶ。くちゃくちゃと音を立てて咀嚼・・・。店内がたまたまシーンとなった瞬間などは、おっさんのくちゃくちゃ音だけが店に響いていた。

客単価1万円以上する割烹。そこに特に京都以外から訪れるにまず必要なのは品格ではないだろうか。食いしん坊で旬の食材にも精通し、それを目指して予約する高い目的意識があっても、美しく食事ができないのであれば、そこに座る資格はないとぼくは思うのだが、いかがだろうか。

店も店である。京都というブランドが泣いている。たしなめるまでは難しいかもしれないが、もう少し配席を考慮するとか、おっさんの下品さが他に波及することを抑える方策もあろうかと。ただ、店主は新潟出身らしく代々続く京都の店ではないゆえ、さもありなんかとも思ったが。

カンテサンス

「カンテサンス」のシェフ岸田さん、シェフソムリエ市村さんと食事をする機会があった。

もちろん、お店側の方との付き合いには大変疎いぼくの主催ではなく、声をかけてくださる方がいて参加できた、というものである。ありがとうございました。

「カンテサンス」ほど予約の取れない店になってしまうと、シェフもマネージャーもソムリエも、とても縁遠い存在で日常お目にかかることなどかなわない気もするのだが、会ってみればもちろん料理やワインを愛するノーマルでステキな青年。特にシェフソムリエの市村さんはぼくと生まれた町まで同じという同郷と分かり、かなりの親近感&大阪ネタで盛り上がる。でもやっばり、行き着くところは「カンテサンス」が抱える様々な悩みどころに話の花が咲いた。

レストランが、客からいただいた予約の電話を満席を理由に断る、というのは、自分の立場に置き換えると「伊藤さんにぜひ仕事を頼みたい。伊藤さんのいい値を払いましょう」と言われるお客様に対し、忙しいのでできませんと、断ることと同様である。ビジネスマンになって25年以上、たったの一度もそんな経験はない。それを「カンテサンス」では毎日何回となく繰り返しているのだ。つらすぎるよね。

もちろんぼくの場合は1日24時間をフルに使おうと思えば不可能ではない。いっぽう食事は「午前2時にきてください」というわけにはいかず、1日に2度しかチャンスがないというのも、さらにキビシイところだろう。

「カンテサンス」では、どうしたら一人でも多くのお客様に店に来てもらえるか、予約が取りやすくなるか、何度も何度もみんなで真剣に悩み、ミーティングをして知恵を出し合っているそうだ。その場でも「伊藤さん、なにかいい方法はご存じないですか」と質されたので、当日予約しかできないようにした、鮨の「しみづ」や「オッジダルマット」の例もあげたが、食材調達の関係で「カンテサンス」ではそれは全く不可能。あたりまえか。

さらに、常に電話が鳴るという現実を日々続けていると、ちょっとでも電話が鳴らないとすごい恐怖心が襲ってくるそうだ。なんとも気の毒というか、レストランをめぐる事情の不条理さ、情報を食べに行く客が先行するネット社会のいびつさに頭を抱えてしまう。

また、当日になって5名の予定が4人になったよという客も後をたたないという。こちらも、多めの席を確保してウェブやSNSのコミュニティ上で参加者を募るも集まらず、当日に人数が減ったことを告げるというパターンが想像され、ここにもネット社会の弊害を見る。そんなとき彼らは、「ああ、だったらもう一組入っていただくことができたのに・・・」と天を仰ぐそうだ。

いっぽう、その話を聞くことができて心からほっとした、とも言える。お客様からの電話をぞんざいに扱うことなく、満席に慢心することもなく、シェフやシェフソムリエ自ら、真摯に料理やワイン以外のことで悩み、仕組みを改めようとして模索のするさまを体感したからだ。

ぼくがレストランに電話して満席と断られたとき、本来断られることはとてもとても困るしつらいんだけど、断るほうがもっとつらいことは(上記の理由で)わかってるよ、みたいなことをぼそっと話したら、「そんな、伊藤さんのような方に気軽に来ていただける店になりたい・・・」との答えが返ってきた。

じゃ、今、予約を頼めますか、と喉元まででかかった(笑)んだけど、ぐっと押し戻した。そういったソワニエがおられるのかどうかは分からない。でもキリがないだろうし、またそんな彼らの悩みを聞いて自分の場所を特別にお願いする気持ちにはとてもならなかった。

でも、ラッキーにも、「何曜日の何時ぐらいが一番電話がならない」というホットな情報は聞くことができた。
一度その時間に予約をトライしてみるとしよう。彼らの働く姿を見るために。


ベンザの話

大変お世話になっている編集者土田美登世さんのブログで、少し前、洋式トイレの便座の話題が出ていた。
少し引用してみると・・・、

「自分をバッチリとレストランでエスコートしてくれる男性。その男性の後にトイレに入ったとして、便座が上がったままだと、正直な気持ち、がっかりする。なんというか、人が見てないところではエスコートしてくれない、みたいな。」

あくまでrestroomでありtoiletではない西洋では、たとえテーブル一卓しかないレストランがあったとしても、ソコが男女別じゃないことなどほとんど考えられない。だが、日本のレストランでは小さな店ではなくても比較的当たり前。女性向きのアメニティを置いてセンスを出そうと努力している店もあるけど、男女兼用は兼用。

例えば、典型的な男女兼用のトイレにはエアラインの機内がある。国際線に長時間乗っている場合など長い行列ができていて、女性が出てきた後にすぐ入るのも幾分気が引けるものだ。逆の立場であればなおさらだろう。食事のスペースを提供する飲食店では、トイレも極力清潔さを保つことはマスト。まして便座を触るというのは、その後の食事に際し気分的に影響を与えるに違いない。


ぼくは一応、家庭でもパブリックの男女兼用のトイレでも(男性用の個室で便座が上がっていることはないので 笑)、用を足した後は必ず便座を下げるようクセをつけている。それでも自分が出た後に女性が入ったりすると、忘れたんじゃないかとハッとするが、そうならないためにも習慣が大切だと考えている。

ところで少し前のこと。西麻布に「真」という鮨店ができオープン当初訪れた際、「真」の化粧室の便座はセンサーがヒトを感知して自動で上下し、手動にしたい場合もボタンひとつで操作できる画期的なものだった(最近でこそ多くの飲食店に見られるが、当時はかなり目新しかった)。

ぼくは、手を使って食べる料理を扱う店として、直接手で便座に触らなくてもいい便器を採用した店主の心意気をコラムで絶賛したところ、すしフリークの方々から、「そんなところに金をかけるなら、鮨の値段を下げろ」と総スカンをくらったイタイ思い出がある。