趣味の記事 (2/2)

江ノ電

東京に来て20年以上にもなるが、ぼくは関西人ゆえか、片手ほどしか湘南と呼ばれるエリアにプライベートで行ったことがない。そして鎌倉には、公私含め未だかつて一度も行ったことがない。

東京から横浜方面へのアプローチは、まさに大阪から神戸へのアプローチと同様である。ぼくは大阪から神戸~明石へのアプローチがとても好きで、それこそ大学生のころは毎週のようにクルマを走らせた。同じ感覚で、東京に出てきてすぐのころ、東京から横浜方面にクルマで向かったことがあったが、意外にも車窓は退屈で高速道路の使いにくさもあいまって、すっかり失望した。期待が大きかったのかもしれないが、横浜という街は、ぼくが思い描いていたイメージより平凡で、東京のベッドタウン的要素と京浜工業地帯の一角みたいな印象が残った。

ゆえに、それ以西の湘南というエリアに対しても、加山雄三~サザンで歌われているような、独自の個性やストーリーは描けず、敬遠して今に至る。

ただ、ぼくの生活環境の変化で江ノ電の腰越に行く必要性があり、初めて藤沢に降り立ったのが昨年。また、HAPAというハワイのアーチストのチケットをラッキーにもいただいたので、彼らを聞きにこの冬大船まで出かけた。たったこの2回。

そして好天に恵まれたGW。別の大切な目的があって3度目の湘南、江ノ島へと向かった。ぼくにとっての大切な目的は、ほとんどがレストランでの食事。今回も行きたいレストランが江ノ島にあった、というだけのことなんだけど。

でも、初の江ノ島である以上、♪江ノ島が遠く見える~とか歌いながら少し調べてみると、なんだかGW中は江ノ電が激混みで入場制限までやっており、60分~90分待ちらしい。鎌倉でも経由して江ノ島に入ろうかとか、GW唯一の観光気分は早々に崩れ去り、藤沢から江ノ島までは徒歩がいいとの結論に達した。
マップソフトで調べても、40分程度。

藤沢駅を降りると、その辺りからすでに江ノ電へ乗車する人たちの行列。さすがにネット情報の通りの混雑ぶりだ。

当初の計画で、藤沢駅近くにカレーうどんのうまい店があるとのことで、まずはそこで軽く腹ごなしをして歩き始める。もちろん江ノ島までの正確な道を知る由もなく、江ノ電沿いに歩けばいいか、とそんなノリ。

ふと、何度か江ノ電の車両が通り過ぎるのを見ると、あの大行列のわりには全く混んでいない。車内でつり革を持つ人はまばらなぐらいなのである。

そうかぁ。わかった!
入場制限というのは、一時の観光客のために地元民の足が奪われないための制限であり、決して満員ということではないのだ。そしてほどなく「藤沢」次の「石上」駅が見えてきた。ホームには地元民らしき方が何人かいて、ラクラクと乗れている。逆に言えば、一駅分(10分程度)歩けば、90分待つこともなく江ノ電に乗れるということなんだ。

やるなあ江ノ電って。ちょっと感動し乗ってみたくなった。そして、単純ながらそんな湘南ってイイトコロだと思った。もしかしたら周知の事実かもしれない。でも、あんなに並んでいるということは、意外と知られていないんだと思う。

でもその日は、カレーうどんで膨らんだ腹をへこませるためにも、江ノ島まで歩く方を選んだのは言うまでもない。

ひとつだけ

数日前さとなおさんが、「さなメモ」にて矢野顕子のコンサートについて書いておられた。その中で、彼も絶賛していた矢野顕子の代表曲に「ひとつだけ」がある。

長いこと彼女のコンサート等には行っていないが、ぼくも矢野顕子のファンで、上記の「ひとつだけ」も収められる1980年にリリースしたアルバム「ごはんができたよ」は、生涯で一番愛聴しているかもしれない(もちろん発売当時はLPだったが)。

アルバム「ごはんができたよ」は、当時蜜月状態だった坂本龍一ら、YMOのメンバーが全面バックアップしていて、矢野顕子自身が「YMO以降、テクニックと音楽性の双方にすぐれたバンドは日本では生まれていない」と語るように、30年経った今聴いても、現代のJPOPには真似のできない完成度ではある。

「ひとつだけ」は、もちろん愛の歌で、世界にいろいろと素敵なものはあるけど、ほしいものは、あなたの心の白い扉を開く鍵だけ、と歌う。当時ぼくは、これは坂本龍一のことを歌っているんだろうなあと、憧憬の念のみだったけど、別の人生を歩まれてもなお代表曲には変わりなく、歌い続けるというのも、アーチストのつらさか。

ところで、ずっと以前に矢野顕子のコンサートに出かけたときのこと。確か小さなライブハウスのようなところ(ピアノ一台での出前コンサートってやつね)で、最前列に座るお行儀の悪い男子が、パチパチと矢野顕子の写真を写した。その際に矢野顕子が彼に直接放った言葉が強く印象に残った。

「本当に大切なものなら、写真ではなくあなたの心の記憶の中に写してほしいなあ・・・。でも、それができないなら、写生しなさい!」

ま、長々と前フリをしたわりに、ただコレを言いたかったんだけど(笑。

ブッチャーvs曙

生まれて初めて、この歳でプロレスを観戦した。しかも、その団体の大スポンサーが席を用意してくださったので、リングサイドの最前列。ただこの団体は、両国国技館での開催にもかかわらず、ぼくの周りでもっとも格闘技に精通している(格闘家の彼氏がいたこともある)M嬢に聞いても知らなかったし、およそ、漫画の「タイガーマスク」程度にしかプロレスの知識がないぼくなど、知るよしもない。

だいたいプロレスといえば、リング外での乱闘がつきもの。乱闘をだらだらとやって両者リングアウトとなり決着を持ち越すことで興行を続けるのが常套手段(それが飽きられてプロレスは衰退したともいえるが)。ゆえに、リングサイドの最前列にいたら何が飛んでくるのか不安だったが(笑)、当然のことながら、リング外の乱闘になっても若手レスラーが客席に波及しないようガッチリとガードしてくれた。

いっぽう、リングサイドにいると、様々にレスラーの私語が聞こえてきて楽しい。あるタッグマッチでは「今日は出番が少ない日だから退屈だなー」とか平気で言っているし、「イテー、あいつ蹴る場所間違えたんじゃねーのか」など。ま、真剣勝負として観ている人がいればガッカリする内容ではあるが。

それと、一人のレスラーが場外に逃げて、リング内にいるレスラーがフライングし、リング外のレスラーに突っ込むシーンはプロレスの見せ場として頻繁にある。でも、リング外のレスラーは飛んでくる人を確実に受け止めてあげることがマストなのだと分かった。当然といえば当然。もしよけられたら大怪我をする。受け止めてくれることが分かっているからこそ、あんなに大胆に飛び込める。おそらくそんな形での練習も積んでいるのだろう。

そうそう、様々に手法を変えて何組もカードが組まれるんだけど、決着がついた瞬間、勝った選手などそっちのけで、手当てのためにフォール負けした選手のところへ何人もがリングに駆け上がる。勝った選手に対し、どうしてそこまで締め上げるんだとリングを去り際に詰め寄る場面もあった。長く元気に興行を続けるには、勝ち負けなんかよりお互いの体調維持の方が重要なのがよく分かる。

初めてづくめで話が大きくそれたが、この興行。もちろんセミファイナル、ファイナルとタイトルマッチもある。でもそうやってメインに進むほど肩入れする選手もいないぼくには退屈。一番楽しかったのは、ブッチャーvs曙という客寄せのカード。

ブッチャーを見た話を友人にすると、最初「あ、在りし日のブッチャーに似たレスラーがいるんだね」といった反応だが、「在りし日」のブッチャー、そう、アブドーラ・ザ・ブッチャー、その人なのである。

年齢については様々な説もあるようだ。けど、70歳を越えていることは確か。在りし日に彼と対決した面々は、ジャイアント馬場を含め物故者も多い。場内暗転して往年のテーマ曲、ピンクフロイドのOne of These Days(邦題は「吹けよ風呼べよ嵐」だったかな)で登場。もちろんピンでの対決は無理なので、三人ずつのタッグマッチだが、他の選手に手を引いてもらいつつよちよちと。

それにしても巨漢(というか単なる肥満)。日本人で、あの歳で、あれだけ太っていたら、おそらく生きてられないだろうに、西洋人は心臓が強いんだなあ。

ブッチャーvs曙のタッグマッチは、まさにコント。凶器による流血も、必殺技の地獄突きもエルボーもお約束どおり。ほとんど動けないので、タッチをしてもコーナーポストに座って休んでいる姿が印象的(本当は反則なんだけど、レフェリーも何も言わない 笑)。


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結局フォール負けして、またよちよち歩きでリングを後に。去り際に「地獄に落ちろ」とか「また戻って必ず沈めてやる」みたいなことを英語で叫ぶのもお約束か。ただ、その英語が誰も分からず訳す人もなく場内ポカーンといった感じ。それを理解できるであろう曙だけが、カラカラと笑っていた。

最近はいつも、この世の終わりみたいな難しい表情しか見たことのない曙だったが、あのさわやかな笑顔には、やっぱりハワイの男なんだなーと納得した。

余談だが、ブッチャーvs曙。いったい体重は何キロの組み合わせなのだろうか。それが証拠に、試合中リング下に敷いてある分厚い木材の一部が折れたようで、終了後予期せぬ休憩タイムとなった。

タイムフライズ@シアター1010

北千住の「シアター1010」でミュージカルを観た。
「タイムフライズ」というタイトル。ぼくの仕事仲間が少しかかわっており観に来てくださいとの招待をいただいたので、比較的時間の取れる週末に出かけた。北千住へ平日の夕方から劇場に足を運ぶのはけっこうタイトだからね。

北千住といえば何度も訪れたことはあるが、「大はし」「徳多和良」「酒屋の酒場」等、全て居酒屋めぐりがその目的。劇場?との若干の違和感は感じるものの、入ってみると、とてもすばらしい空間で驚く。
(音はイマイチだったが、それはPA会社の責任によるところも大きいような気がする)

で、そのお芝居。
簡単にストーリー説明を試みると、イマの世界で芳しくない就活に悩む男子大学生の2人が、消防署の施設で体験中にタイムスリップ(その辺のリアリティや説得性は全くない)。70年安保闘争を繰り広げる全共闘時代に戻り、昭和の大学生活、おもに学生運動を体験。磨かれて現在に戻り逞しく生きる、という感じ。

なんというか、うまく表現できないんだけど、脚本も演出も、そしてキャストや大道具、照明も、すべてがいい意味で既視感のある芝居だった。誤解を恐れず具体的に言うと、20数年前に観た初期の「キャラメルボックス」とでも形容しようか。芝居を観ることに強く傾倒し、頻繁に本多劇場に通っていた20年ぐらい前の自分に、それこそタイムスリップして、体の芯が少し熱くなった。

自分たちは、芝居を歌をやりたいんだ、というギラギラした役者達の意欲。イマでは考えにくい稚拙なセットや小道具と一本調子の照明、音響の悪さやミスの多さ。これがネラいで作ったならスゴいことだけど。

いっぽう、全共闘世代ではないイマの人たちが制作する全共闘はかなりヘン。
ぼくは全共闘世代よりは随分と若いけど、比較的学生運動の盛んな大学に通ったので、まだまだキャンパスにはカッコ悪い残党がうようよといた。

随所に出てくるアジ演説も、学生運動用語も、タテ看板も、わざとに模したであろう服装も髪型も、リアリティなかったなあ・・・。つまり舞台全体からあふれるあの当時らしい情熱や古くささには真実味や説得力があふれるのに、時代考証はチグハグ。

一番アレッと思ったのは、タイムスリップした時代は1968年で70年安保前の必要性があるんだけど、劇中で突然上條恒彦の「出発の歌」が歌われるのね。でも、「出発の歌」がリリースされたのは1971年。

まあ、場面的にはこの歌がめちゃハマリゆえ、違和感はないんだけど。

ところで、劇中で「出発の歌」を歌った役者を検索してみたら、なんと上條恒という人だった。もしや息子さんかな。