泰明小学校

泰明小学校の話題でもちきりだ(もう下火かな)。
泰明小学校といえば、「泰明庵」なる蕎麦屋の前にある学校、という程度の、
いつも通り飲食店と結びついた記憶しかなかったが、いうなれば銀座の真ん中に小学校がある、ということに歴史的価値と高級感を感じることは容易である。

制服(標準服?)がアルマーニらしい。
ぼくは今でも一番にオシャレな男だと尊敬する親友は、
大阪にまだアルマーニの直営ショップがなかった時代、一点モノを仕入れていたセレクトショップでバイトをしていて、
アルマーニというのは凄いカッコいいんだよとょく言っていた。

泰明小学校の校長も記者会見していて、内容は入ってこなかったけど、その堂々たる態度には、
ゆるぎない自信がすでにあるんだなあと感じた。つまり、外野が騒ごうと炎上しようと、
実際に購入する保護者への根回しは終わっている。顔にそう書いてあった。

当然騒がれること、ねたまれることも予想したであろう。
でも、校長にとって重要なのは、越境してまで泰明小学校に通わせようとする親たちだけであり、
この時代らしい、コミュニティの重要性と強固な関係を改めて知ることになった。
佐藤尚之さんが強く訴える新たな意味も、ここに具体化しているような気がする。

カッコ悪いありきたりの制服は着せたくない。
そんな制服を着て入学式の写真を撮るなど、もってのほかだ。
結婚式への列席など個人的な冠婚葬祭のときも、アルマーニを着せて連れていきたい。
改めて違う服を用立てるなら、8万円で揃うアルマーニは、安い以上に泰明小学校の生徒ではなくても欲しいのではないだろうか。

銀座の歴史あるテーラーこそふさわしいのではないか、という意見も多かった。
でも、それでは保護者にとって意味はないし賛同も得られなかったに違いない。
そして、シャネルやエルメスではなくてよかったと、個人的にも思う。
制服である。カバン屋ではだめなのだ。

北の脅威

昨日、カナダトロント出身のミュージシャンと話していた。
彼はよく京都にもツアーに行くようで、つい先週、京都ツアーを行ってきたばかりという。

ライブの後京都観光や京都で打ち上げをした際、とても驚いたことがあったとつぶやく。
それは、彼の耳に、アメリカンイングリッシュがほとんど聞こえてこなかったというのである。

ぼくの耳ではかなり難しいが、ネイティブスピーカーにとって、今聞こえている英語が、イギリスなのか、アジアなのか、オーストラリアなのか、ノースアメリカなのか、聴き分けるのは比較的容易のようだ。
で、京都という日本最高の観光地には、間違いなく大量のイングリッシュスピーカーが訪れている。
彼曰く、何度も京都を訪れているが、こんなにアメリカンイングリッシュが聞こえてこないことは、過去になかったというのである。

トロント出身のカナダ人ミュージシャンはこう付け加えた。
それはひとえに、北朝鮮の脅威だと。自分の母国がいつ北朝鮮と一戦交えるか分からない緊張した状態で、最も隣国な日本は危険極まりなく、おちおち旅行などできない、というのが一般的なアメリカ人の感覚。ハワイへのアメリカ人旅行者も減っているという。

確かに昨年夏ハワイに行ったとき、アメリカのニュース番組でも北朝鮮のことを、極端に言えば日本以上に取り上げていて、ミサイルを打ち上げる映像を何ども流し脅威を煽っていた。そこまで深くて強いアメリカ人の関心事なのだ。しかもアメリカ人の多数は、戦争が始まる可能性を高く感じていて、隣国への旅行を控えている。

ベトナム戦争同様身勝手な話だなあと感じつつ、隣国で暮らすぼくたちにとっては、さらに恐ろしい。
大地震の前に、鳥が一斉に飛び立つ、そんな状況だろうか。

食べログアワード

食べログアワードなるイベントがあったらしい。深夜のニュース番組でちらっと放送されているのを観た。
渡部建と寺門ジモンが呼ばれていてテレビのカメラが彼らのインタビューを紹介していた。

六本木の高級ホテルバンケットを使い、タレントを呼び、全国からアワードを受賞した料理人を招待していたようだ。
個人的には興味外のことだし、どこの店がアワードを獲ったかなどはもっと関心がない。
ただ、そんなことに贅を尽くすだけの金が、食べログにあるのか。あるとすれば、それはどこから出ているのかについては少し疑問を呈したくなった。

おそらくそのお金は、アワードなどとは全く無縁の、パーティに招待されることもない数多の飲食店から徴収したものだ。数多の飲食店は自分と同じ立場の、もしくはライバルである可能性も高い他の飲食店が、高級ホテルのパーティで飲み食いし、賞まで授与される、そのお金を自ら払っている、という構図である。

金を払っているのだから自分もそこに呼ばれるように頑張ればよい、というモチベーションもあろう。
でも、食べログという偏った恣意的なアルゴリズムでランクを決めているサイトでは、それはほとんど望めない。

評論家が決めるのではなく、国民投票だから価値がある、みたいなことをテレビのキャスターが言っていた。
国民投票? そんな言葉を安易に使ってもいいものだろうか。というより、国民投票なら、なぜ「松川」が一位になるのか。食べログの誰かに説明してもらいたいものだ。

アンチ箱根駅伝

2018年です。
あるメルマガに、2017年は「忖度」と「インスタ映え」が流行語の筆頭で、
いずれの言葉も、真実を隠して、モノやコトをよく見せたり、ゆがめたりする言葉だと書きました。
2017年は、そんな象徴的な年でしたね。
さて、今年は・・・。

年初、日本にいるほとんどすべての日本人が体験する箱根駅伝。
年を重ねるごとに、過剰なほどのブームとなってきました。
うだうだと酒やおせちを楽しみながら観るには、お笑い以上に、またお笑いは好きではない人々に支持され、
すでに他局は白旗。TBSとテレ朝は再放送番組という体たらくでした。

箱根駅伝は、関東大学駅伝という地方大会。つまり関東のみのローカル放送であるべきとぼくは考えています。
出雲駅伝のような学生駅伝の全国大会ならば素晴らしくて、きっとぼくも心から楽しめるかと。
でも、大阪で関東大学駅伝は観たくありません。
ここがそうだという固有名詞は上げにくいものの、上武大、中央学院大とか言われても、
大学の知名度を上げるために出場枠を確保しているとしか思えないんです。

こんなに小さい国土だからやむを得ないけど、マスコミは東京に集中して、
情報はすべて東京から発信されるのが日本。
自分が長らく住んで、ずっと東京のライバルだと自負していた大阪も、
すでに地方の一都市になりさがったかと、橋下氏の大阪都構想が住民投票で
敗れたときは感じました。
(ただ最近は、大阪らしい独自性を帰省のたびに感じるようになり、
それはまた別に書きます)

地方各所でニュースを見ていても、必ず関東の天気予報が流れる違和感は、
関東以外で長く住まないと分からない現実でしょう。
箱根駅伝って、そういった東京発信の最たるものと、ぼくは天邪鬼にも
感じています。

箱根駅伝を全国の大学選抜の大会にしようと関東以外の大学陸上関係者が
何度も動いたという話も聞きました。でも、関東の大学がその利権を守るために、
反対したとか。議員定数の削減に議員が反対する構図と似ています。
日本人らしいなあと。

もちろん、関東の大学出身であれは、楽しみにするのは当然で、
うちの妻も東京農大出身なので、今年は出場を逃しましたが箱根駅伝の常連。
いつも楽しみにしています。
ただ東京農大ぐらいになると、大学自体に強烈な個性があるので、
わざわざ正月から働かなくてもいいんでしょうけど。

なお、2024年の100回大会から、全国大会にしようという案があるらしい。
でも、関東以外の大学に、果たしてそこで勝てるメンバーがそろっているかどうか疑問ですが。

ツマの料理

押しなべて、自分と同業の皆さんはそーなのだと思うが、浴びせられる最大のクエスチョンとして、
365日毎日外食なんですか。大変ですね。である。
なのに、同じぐらいこんな質問も来る。
ご自身で料理をされるのですか。きっとおいしいだろうなあ・・・。

伊藤の場合、上記はいずれも違う。
独身時代は、ほぼ毎日外食で、外食しないときは自分で作っていた。
ところが結婚後、外食は週4日ぐらい(それでも多いと言われそうだが)、料理は一切作らなくなった。

理由はただ一つ。臆面もなく堂々と言おう。
ぼくの奥さんは、料理が大変上手でとても美味しいからだ。
その結果、外食の回数も減り、自分で作ることはなくなった。
極めて単純である。

拙宅のキッチンには化学調味料が一切ない。冷蔵庫にあるもろもろも、無添加・無化調である。あ、唯一「ぽん酢」ぐらいかな。旭ポンズだけは大阪人のソウル調味料ゆえ、どうしても手放せない。もちろん無化調のぽん酢もあるにはあるが。

立ち食い的なランチを含め外食での無化調は、かなりのレベルまでいかないと期待できない。自分はあくまでその点にはこだわるつもりもなく、無法地帯を認識、いや享受している。
また、自宅での食事が無化調なので、回を重ねるごとにその差が際立ち、無化調とはどういうものかについて、舌が敏感になる。ありがたい、うれしい習慣と経験だ。

かくいうツマは、料理教室はおろか、レシピ本を見ることもほとんどない。唯一参考にしているのは、上沼恵美子がやっている「おしゃべりクッキング」らしい。ただしこれは、関東ではお目にかかれない上沼恵美子のおしゃべりが楽しいからという理由で観ているのだろう。

なにしろぼくのツマは、日本国内はおろか世界中の優れたレストランに行っている。どう考えても、あまたのフードライターや料理研究家よりも、世界の料理に対する経験や体験は豊富だと思う。
それを職業にする気は一切ないので、自分の中で体系づけようとか変な欲張りはなく、感性のみが研ぎ澄まされ鍛えられるに違いない。

ああ、ここまでのろけると気持ちいいな。