ハワイの旅行ガイド、書きました

文春オンラインという、文芸春秋社が発信する総合的なウェブサイトに、ハワイの旅行ガイドを書きました。二回目のハワイとの位置づけで、ハワイでどこに行くかについてはサブのテーマとし、どう動くかという点に最大のスポットを当てて書いてみました。現地でレンタカーに乗らないという縛りです。

実はハワイに50回以上行ってるのですが、初回からレンタカーに乗っていて、オアフ島なら地図を使わずしてほぼ全島の主要な道路を熟知しているのですね。でも、レンタカーを使わないガイドを書きたくて、ここ数回はクルマを借りずに移動する、をテーマに現地でも動いてきました。すべて実体験です。
(なお、各記事のタイトルは編集部作成です)

第一回
2回目のハワイは「ハワイアン航空午前0時羽田発」に乗る

第二回
ハワイの移動手段、実は路線バスが正解!

第三回
時間を無駄にしない4泊6日の超具体的プランはこれ

第四回
ハワイのアウトレットは「ワイケレ」に行け。日本人向けサイズが豊富

初サイゼリヤ

つい先日、友人の放送作家さんの熱海の別宅で花火鑑賞の会が開かれた。
久しぶりに熱海に行って、とんぼ返りの夜。放送作家がぼくの大好きな無頼派(笑)ゆえ、楽しい時間だったが、その中で「サイゼリヤ」というイタリアン? ファミレスはすごい、という話になり、実は、一度ずいぶん昔に、東京ビッグサイト近くの店にランチで入ったような記憶があるかないか、ぐらいのレベルだったゆえ、ちょっくら偵察するか、ということになった。

メニューを見ると、頭がクラクラするぐらいの価格破壊である。
コンビニで総菜を買う(買ったことないけど 笑)ぐらいの価格。そこにちゃんとしたテーブル、椅子、水、サービスがつく。
人生で最後にファミレスに行ったのも、日本ではおそらく20年近く前かなという気もするので現在のファミレス事情を全くしらないけど、この価格で経営が成り立つなら、それはそれでスゴイ。

さらに驚いたのは、ワインである。
マグナムボトルが1000円。酒屋でも1000円で売られているマグナムを見たことがない。というか、わざわざマグナムボトルを用意して1000円で売る必要があるんかなあと、首を傾げた。自分以外、酒を飲んでいるテーブルはないし、ソフトドリンクも安価で飲み放題の様子。
聞くと、飲みきれなければどうぞお持ち帰りくださいと、ビニール袋まで用意してくれるのだ。

そーか、それならとマグナムをチョイス。
(普通サイズがいくらだったかも覚えておらず 汗)
もちろん日本で瓶詰めをしていると思うし、キャップもラベルも簡素なもの。でも、いわゆる典型的なシャパいイタリアワインとしてがぶ飲みできる。このマグナムが1000円なら表彰状ものだ。
そのまま全部飲んでもよかったが、ここは持ち帰るというプランを採用。現在拙宅では、もうちょっと、もう一口ぐらい飲みたいなあというときの非常用として重宝している。


お笑い番組

広告が出てしまった。
広告が出る前に(せめて一か月はあくことなく)書き続けたいと思いつつ、
3月4月はデッサンどころではない、原稿のボリュームが公私ともに多かった。

画家でもピアニストでも、本作やコンサートが続いているときにも、
やはりデッサンやソナタを弾くのだろうか。そりゃ、するよな。

ところで、
最近のマイブームは、「ブルゾンちえみ」って知ってる?
と、聞くこと(笑。皆さんご存知だろうか。
先日男4人でクルマで旅をしている車中、その質問をしたら、
2対2、二人が知らなかった。

否定する人も多いが、ぼくはテレビのお笑い番組が好きである。
大阪人というのは大きいし、仕事がエンタメに絡んでいることも理由の一つ。
特にM-1グランプリ(若手漫才師のコンクール)は、音楽・映画を含めたあらゆる国内で開催される賞レースでも、
もっとも秀逸だと密かに思っている。
なにより、中川家から始まって、ますだおかだ、アンタッチャブル、チュートリアル、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、サンドウイッチマン、ノンスタイル・・・。優勝者は今も一線で活躍している。
それだけ審査の精度が高いということだ。

恩田陸の「蜜蜂と遠雷」でもうまく描かれているように、コンクールにおいて重要なのは、
審査員である。M-1グランプリが、なによりコンクールとして優れているのは審査員。
この審査員を選んでいるスタッフに、ぼくは心から拍手を送りたい。

ちなみに昨年の審査員は、
松本人志、上沼恵美子、博多大吉、中川家礼二、オール巨人。
松本、上沼、巨人師匠あたりはすでに定着しているが、それに加えて博多大吉、礼二の二人を選んだ点には、お笑いファンとして敬服する。

M-1グランプリは、予選は各審査員の得点の合計で上位3組が残り、
決勝は、審査員がそれぞれよかったと思うコンビに投票する。ゆえ、レコード大賞とかと違い、審査結果の透明性もまた番組の魅力なのだ。
審査員5名が、決勝に残った3組のネタを改めて見てだれに投票するのか、というのも視聴者として見どころの一つ。
オール巨人、上沼恵美子は本命に投票(想像の範囲)、博多大吉、松本人志は、当初から本命には投票しないだろうと考えていたが、その通り彼らの職責を果たした(決勝で一票をいただけたという若手漫才師への貴重なプレゼントを贈った)。

さて、中川家礼二。彼は、どのコンビに投票するのだろうか。
予想に反して本命に投票し、最後の一言コメントで「どんなに人気者になっても漫才を忘れるなよ」といった。
礼二はこれを言うために本命に投票したんだろうな。

どわっーと涙があふれ出た。
お笑いで泣くなよ(自分。


盛岡のこと

少なくとも、週に一度以上は文章のデッサンをしたいと思って再スタートしたものの、あっという間に数週間たってしまった。先週も先々週も週末は東京におらず、モバイル用として使っているパソコンには、ブログの設定もしていなかつた。

その間、先々週は盛岡だった。
盛岡は好きな街、なにより人がいい。
クラクションの鳴らない街と、盛岡の人は自ら言う。
ホテルのフロントに始まり、タクシーに乗っても、道を聞いても、飲食店でも・・・。
回りの他人に対する思いやりを人一倍感じる。
つまりクルマのクラクションがどんなに相手に不快なものか、という「思いやり」があるのだ。

夜の盛り場を一人で歩いてたら、酔っぱらった男女数人がいて、そのうち一人の女性が
お前なんか轢かれてしまえと、道路の真ん中に引っ張り出された。
あくまで酔ってふざけた行為であり、その道路も裏道でクルマが頻繁に走るような感じではない。
ところがたまたま、そこにタクシーが一台通りかかってしまった。
タクシーは女性の手前で止まり、女性が道路の端に移動するまでその場で静かに待っていた。
当然、クラクションは鳴らさない。
正直、信じられない光景だった。もちろんタクシーの行動が、である。

ぼくがイベントの仕事をしてきた中で、一番というぐらい大切で大好きな大手電機メーカーの元担当者と会った。
今は事情があって大会社を辞め、故郷の盛岡で暮らしている。
神戸の震災翌年、ぼくの父が他界し、多少仕事に影響するようなおヒマをいただき復帰した際、クライアントでは唯一その方だけがお香典をくださった。もう20年以上前だが、その恩義は今も忘れない。いや、一生忘れないよね。
さすが、盛岡民なんだ。

永く長くその方と話していて、いつしか震災のことになった。
岩手県は震災で多大な被害を受けたが、それは海岸沿いの町ばかり。
盛岡も激しく揺れライフラインは数日止まったそうだが、内陸部ゆえ陸前高田や大船渡のような津波の被害を受けたわけではなかった。もちろん死者や行方不明者も出なかった。ところが震災以降は違ったそうだ。
同じ県の中に、ものすごい被害を受けた町や人がいることを、盛岡市民は決して忘れなかった。

盛岡の人ってねえ、震災後、海岸の町の復興にすごく東奔西走したんだよ。それこそ命を縮めるぐらいね。ぼくの土建屋の同級生も、震災の翌日から一日も休まず働き、三年前に死んじゃったよ。次はぼくかもなあ・・・といった。

松木さん、また会いに行きます。

ローラという存在

テレビの話ばかり書いてるような気がするが・・・。
ローラというタレントがテレビに登場した最初、衝撃的だったなあ。
自分のことを、ローラですとか、ローラと申します、ではなく、
ローラだよ、というのである。しかも大物と称されるMCに向かって。

当初はMCもひな壇に並ぶタレントや芸人も相当驚いたであろう。
(その辺が予定調和だったのかどうかは、視聴者には知るすべもないが)

社会に出ると、出会った人とタメ語で話すにはとても勇気がいる。
同い年やその周辺の世代とは、タメ語で話すほうがコミュニケーションは深まるとぼくは考えるし、
年下ならさらにそうだが、やはりそれなりのけじめが必要だ。
今日からタメ語で話そうよと、何人かの友人に宣言をしたり、
同い年の仲間でグループを作って、タメ語で話すことを唯一の参加資格として決めたこともある。

ただ、ローラのおかげで世間は『慣れた』。
当初の強烈な違和感も、結局は慣れるものなのだ。
つくづく慣れって怖いなあ、というか、慣れさせることの重要性を改めて認識した。
ローラ以前と以降では、話し言葉に対する様相がすっかり塗り替えられてしまったようだ。
タメ語が、個性から日常になった。
ローラ以降のタレントはホントウに楽だったと想像する。

こうして敬語のよさ、ひいては日本流の礼儀が失われていくことに危惧する層も多いが、ぼくは最近、特に英語で話す機会が多くなるにつれ、あまりそう感じなくなった。

当然だが、20代の若者にも英語では、Hi Akira!と言われるわけで、自分が何歳だからとか、そんな気負いや面倒くさいことを考える間もなく、すーっとフランクな人間関係に入れる。かといって、英語圏の若者に礼節がないわけではなく、きちんと敬うべき部分については態度で表明してくる。
日本特有の敬語は、もはや振る舞いではなく処世術として使う時代が来たのかもしれない。

そうそう、ローラは父親が詐欺まがいのことをやったにもかかわらず、まったくお咎めがなくテレビに出続けている。
例えば親が生活保護を受けていて干された、次長課長の河本とかと比べても、あまりある厚遇だ。

そう、すでにローラは、日本のテレビ業界に、不可欠の絶対的な存在なのだろう。